- パン×2 210円
- コーヒー 180円
- 爽健美茶×3 300円
- その他雑酒×3 300円
- 体重 67.0kg
- 体脂肪率 20%
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915年は十和田湖火山が噴火した年。日本における噴火では過去2000年で最大規模だったと目されている。
火砕流は周囲20kmを焼き、火山灰は東北一帯を覆った。噴出物は各地で土砂ダムを形成し、その決壊が多くの犠牲を招いた。
甚大な損害はその後も語り継がれ三湖伝説を生んだと推測されている。
それほどの災害の後も歴史を紡いでこれたのだから、人間って凄いもんなんじゃない? などと脳天気に考えつつ今日もWiiでエンジョイダイエット。
三歩進んで三歩下がるような毎日だけど、まあそれもいいんじゃないかな(いいかげん)。
2011-10-09 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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ポルシェ914は60年代末から70年代半ばまで生産されたスポーツカー。
ボディはポルシェ社が製造していたが、エンジンなど多くの部分でフォルクスワーゲン社のそれを流用していた。このため、ワーゲン・ポルシェの異名を持つ。
当時はフォルクスワーゲン社がビートル系からの脱皮を図っていた時期であり、ポルシェ社は安価な入門者向け製品を欲していた。両社の利害がマッチした結果生まれたモデルと言える。
デザインは他のポルシェ車と大きく異なり、直線的なライトウェイトスポーツ風だった。またエンジン配置もミッドシップ後輪駆動で、重量配分を均等に近づけ、運動性能向上が図られていた。ただそれゆえにトランクスペースは狭く、また2+2にもできなかったため、実用車としては難があった。
にもかかわらず、既存部品の流用によるコストダウンがきいたのか、当時の911シリーズよりも一桁多く生産・販売されている。
その後、後継としてフォルクスワーゲン・アウディ・スポーツが企画されたが、ポルシェ社の経営陣交代によって方針は大きく変わった。ポルシェ社は924をエントリーモデルとして位置づけたが、その日本での価格は400万円台だった。
また、フォルクスワーゲン社は独自のスポーツモデルであるシロッコを売り出したが、こちらは約390万円だった。914のそれが215万円だったから、いずれもおよそ倍である。
当時は日本がフェアレディZやRX-7を安価に販売していたから、似たような価格帯で勝負しても損、と判断されたのかもしれない。だが、もしその流れが今日まで残っていたら、世界にはより魅力的でスポーティな車が広まっていたかも知れない、とは思う。
などとありえもしなかったことを妄想しつつ、今日はWiiでエンジョイダイエット。
ここのところ少々体調が悪かったので、リハビリも兼ねて。
わしももっと若いうちにビリーにであっていればなあ(ないない)。
2011-10-08 カテゴリー: 日記 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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私が最初に買ったMacはLC2で、たぶんスティーブ・ジョブズがAppleを離れた後だったと思う。
そのころ、植田にあったMacショップではNeXT STEPとかのチラシも見掛けたが、利用する機会はなかった。
という訳で、私がジョブズの仕事に直接的な影響を受けるようになったのは、彼がAppleに復帰してからだった。彼の復帰について私は「Appleは創業者のもと、前向きに倒れる」と発言した記憶がある。不明の至り、だ。
以後の彼の活躍については多くの人が語っており、彼の死を受けてさまざまに報道もなされているので、ここでは触れない。ただ、いくつもの決断が重なり、当時「倒産寸前」とまで言われたAppleが今日の栄光を掴んだことは改めて強調しておきたい。
私が特に興味を抱いているのは、その「決断」の過程である。
例えば、iPod for WindowsおよびiTunes for Windows提供の決断。これは、自社製品(Mac)のアドバンテージを損ないかねなかった。
例えば、iTunes Music Store(現iTunes Store)によるサービス提供の決断。これは、英アップル・レコード社からの訴訟や先行する他社との競合が容易に予想された。
例えば、OS X iPhone(現iOS)の開発。既存OSと互換性のないOSを並行して整備すれば、開発リソース不足は火を見るよりも明らかだった(事実、Mac OS Xの改善が一時的に遅れた)。
これらリスクが多く、社内外の既得権益を覆す決断に、ジョブズはどこまで関わっていたか。言い換えれば、ジョブズはどこまで関わらなかったのか。
ジョブズはカリスマであり、極めてあくの強いキャラクターの持ち主だった。それゆえ、すべての決断が彼によってなされていたかのように語られることが多い。
PowerBookにメモリースティックスロット搭載が検討されたときも「側面にメモリースティックのロゴをつけたくない」とかいう妙な拘りで却下した、などのエピソードも実際よく聞かれる。
だが、あれほど複雑な製品・サービスを提供する企業において、すべての決断をトップ「だけ」がおこなうなどということはありえない。一人の人間が処理できる情報には限度があり、トップに適切な判断をさせるには、適切な取捨選択が事前になされなければならない。
無論、Appleにおいて「事業部長が勝手にやりました」などということはないだろう。最終的決断はジョブズに委ねられていたに違いない。
しかし、そこに至るまでには様々な取捨選択がなされていたはずだ。それには末端からのボトムアップもあったろうし、幹部によるトップダウンもあったろう。
それらジョブズ以外に委ねられていた範囲がどの程度だったのか。
ジョブズは健康上の理由から幾度も休養を繰り返しており、その間もiPhoneやiPadなどに代表される優れた製品をAppleは提供してきた。
それゆえ私は、ジョブズ以外による決断が想像以上に広範囲に及んでいたのではないかと推測する。
なお、私は決してジョブズの功績を軽んじるものではない。むしろ「カリスマなくしてイノベイティブな製品を提供し続ける企業」を組織した、という点を、彼の功績の一つとして付け加えたいと願うものである。
最後に改めて、スティーブ・ジョブズ氏の冥福をお祈りいたします。ありがとう、そしてさようなら。
2011-10-08 カテゴリー: Macintosh | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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