930年の初夏、続く干ばつへの対策について検討するべく、太政官らが清涼殿に集まっていた。
しかしその時、愛宕山付近より黒雲が広がり雷雨が平安京を覆った。おそらく公家らはほっと胸をなで下ろしたことだったろう。だが雷は、まさに彼らがいる清涼殿をも襲った。
落雷により大納言民部卿である藤原清貫ら多くが死亡、顔を焼かれるなどの重傷を負った者もあった。
その惨状たるや凄まじく、醍醐天皇はそのショックから体調を崩し、三ヶ月後には崩御したほどだった。
なお藤原清貫は菅原道真の太宰府左遷、監視に関わっていたこともあり、この落雷事件を「菅原道真の怨霊の仕業」とする声が広がった。
今日、菅原道真が雷神と結びつけて考えられるのはこの事件に起因する。
などと誰もが知ってそうなことをほざきつつ、今日はターゲットタエボーの二頭筋&三頭筋、背中、腹筋。
903年に亡くなった人の怨念で930年に落雷か…昔の人の時間に対する意識は今日とそうとう違ったんだろうなあ。