981年は西夏の王、李徳明(太宗)の生年。
父にして初代王である李継遷(太祖)が遼朝との関係を重んじていたのに対し、彼は遼と宋の両方に対し臣下としてふるまった。李継遷自身が、その死の間際に宋への帰順を示唆したとされているが、それ以上に、遼と宋の関係の変化を敏感に読み取ったものとも推察される。
というのも、李徳明が即位したその年、まさに宋と遼との間で「澶淵の盟」なる和議が成立している。遼の聖宗は20万の大軍を率いて南進したが、それでも宋との戦いは膠着し、「宋が兄、遼が弟」とする和議を結ばざるを得なかった。まだ脆弱な西夏が独力で宋と対立し続けるのは困難、と李徳明も踏んだのであろう。
彼の治世では外交的安定を活かして農業が盛んと成り、国都としての興慶府(現在の銀川市)整備も進んだとされる。それゆえ、彼をして「事実上の建国者」とする声もある。
情勢を見極めるのは大事だよなあ、などとのんきにほざきつつ、今日はエリートのミッション1。まあ、空気も読めないワシが言うことじゃないんですけどね。