841年はエドマンド殉教王の生年とされる年。長じてイースト・アングリアの王となった彼は、公明にして信仰に厚い人物だったと記録されている。
彼は侵攻者デーン人らと戦い、敗北した。しかしそこから彼の主たる伝説は始まる。
異教徒らは彼に信仰を捨てるよう迫ったが、それを断固として拒否。嘲笑を浴び、打擲を受け、木に縛り付けられ、無数の矢を突き立てられながらも、彼はなおキリストを賛美し続ける。ついにデーン人らは彼の首を刎ねた。
彼の首を探しに来た者は、問いかけに答える声を頼りに探し、飢えた狼らがそれを護っていることに気付いた。
すでに埋葬されていた彼の身体を掘り起こすと、驚くべきことにその矢傷は消えていた。さらに首を元の位置に戻すとそれは身体と癒着し、赤いわずかな線だけが残ったとされる。
彼は後に列聖され、その紋章旗はかの有名なアジャンクールの戦いでも掲げられた。
「弁慶の立ち往生」みたいなもんかなあ、とスカタンなことをこきつつ、今日はタエボー1。孤立無援で死んだ人をやたら美化するのはクリスチャンもイスラム教シーア派も日本人もいっしょってことかな。