著者のベルリン・フンボルト大学講師の歴史家ライナー・カールシュ氏によると、ナチスは一九四四年から四五年にかけベルリン近郊に原子炉を設置し、濃縮ウランを使った小型核兵器を開発。四五年三月三日、ドイツ東部テューリンゲンで核実験を行った。
ベルリン近郊に原子炉があったのなら終戦後に確認されていてしかるべきだ。
また、核実験に成功していたのならば停戦交渉に利用していただろう。
おそらく爆撃機やロケットに載せられるサイズにはできなかったろうが、ヒトラーの性格からすると国内のどこかで爆発させて連合軍を道連れにせんと試みたりもしたはずだ。
読みもしないで言うのもなんだが、新説よりも珍説の類か?
この記事だけではツッコミきれませんが、ひとまず
1:ドイツはウラン濃縮計画にまったく関心を示さなかった
2:ドイツは原子炉の建設に成功しなかった
3:ドイツは核反応持続に必要な臨界質量の算出に失敗した
4:ドイツの重水資源は連合軍の特殊戦によって破壊された
5:1と4から、ドイツには原爆に必要な核物質はなかった
という科学史上の通説をどう論破しているのかはちょっとだけ気になります。
投稿情報: ばべる | 2005-03-16 15:51
「フランクフルター・アルゲマイネ」紙に長文の評があったので読んできました。
ttp://www.faz.net/s/Rub9D1EE68AC11C4C50AC3F3509F354677D/Doc
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カールシュ氏は主にロシア、旧東独、西側等の公文書館で発見した新史料に基づいてこの本を書いたとのことです。
彼の説の概要は、
・核兵器開発計画は主流派のハイゼンベルクよりも、非主流のディープナーの下の小グループの手でより実り多く進められていた。
・ベルリンの南、ゴットウ村の陸軍研究施設に建設されたディープナーの原子炉が運転を開始
・成形炸薬弾頭を応用し、核分裂と核融合(!)を組み合わせた兵器の開発が行われる
・1944年10月、バウト海リューゲン島で核実験が行われる
・1945年3月、テューリンゲンのオードルーフ演習場で核実験が行われ(「閃光と高熱、放射能」を伴う2回の爆発)、捕虜数百名が死亡
・ドイツが核兵器を実戦に投入しなかった理由は、量産が困難んだったこと、起爆装置と運搬手段に重大な問題が残されていたこと
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カールシュ説への批判(主に科学界からの)
・ゴットウの原子炉が連鎖反応の持続に成功した証拠はない
・成形炸薬核兵器はそもそも実現不可能
・カールシュ氏には物理学と核兵器の知識が決定的に欠けている
・「核実験」の直接的証拠はあやふやな証言のみ
投稿情報: ばべる | 2005-03-17 02:46
まとめますと、
・カールシュ氏は新史料を駆使して、ディープナー・グループの核研究活動について今まで知られていなかった多くの事実を明らかにした。
・しかし物理学的な知識の欠如から、彼はその事実を、ドイツによる核兵器製造や核実験というセンセーショナルな空想へと膨らませてしまった。
こういう評価が妥当でしょうか。
投稿情報: ばべる | 2005-03-17 02:54
>成形炸薬核兵器
カッコイイ!
HEAT弾無敵とか思っていたバカ(ワシなど)にとってはワクワクする話ですなあ。
……そういえば五島勉が、大日本帝国も核開発に成功したという説を披露してましたね。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-03-17 12:49