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- 自分の考える「保守」はこんな感じ
- 人間の理性は万能ではない
- 人間の社会は幾多の歴史を経て取捨選択されてきた結果であり、大きな財産である
- 理性に基づく抜本的な革新=「革命」はその財産を大きく損なう恐れがあり、選択すべきでない
- よって、革新は過去の経緯にリスペクトしつつ、漸進的に進めるべきである
- なお、「過去の歴史」を勝手に理想化し、それを「あるべき姿」として現状を否定するのは「反動」
- ところがどうも、日本にはそれっぽい「保守」はない感じ
- 民社党は言うに及ばず
- 自民党にいるのは「聖域なき構造改革」=「革命」を唱える者と「反動」ばかり(ゴッド・ラーンド!)
- 現代に限らず、過去もそうだったように思われる
- 226なんかはもろに反動的革命だったし(正直、バカだと思う)
- 学生運動もそれと対峙した者たちも歴史をリスペクトしていたようには見えない
- そもそも維新政府も国学も「保守」じゃないだろうし
- こういった保守不在というのは、日本の特異事例なのか、それとも西欧以外では一般的なのか
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日本には本当の意味での「右」も「左」もいない。
それはこの国が西欧型の成熟した市民社会の歴史も伝統も持っていないからだ…
と、敗戦後いち早く指摘したのが丸山眞男ですが、これに対して、実は西欧にも必ずしも「成熟した市民社会」がきちんと育っているわけではないじゃないか、という実証研究からの声があるわけです。
上の2つともそれぞれの立場において正しい、とするのが当面の結論ではないかと。
投稿情報: ばべる | 2008-04-13 14:27
とりあえず丸山の『忠誠と叛逆』を読まれてみてはどうでしょうか。
ただ彼の広大な言説世界は、醒めた良質の案内役なしでは簡単に迷ってしまい、いわゆる「右」「左」レッテル貼り的な誤解を生み出しやすいので注意が必要ですが…
↓こんな風な
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0564.html
投稿情報: ばべる | 2008-04-13 14:35
「保守」「革命」の本家である西欧はどうかと言えば、例えばフランス革命の最近の研究動向ではマルキシズム的階級史観を離れて、革命を人々の日常生活の意識を規定する「政治文化」(誤った用法で言えば「パラダイム」)自体の変化としてとらえる政治文化論が主流となっています。
議論の口火を切ったフュレ「フランス革命を考える」をお勧めします。
投稿情報: ばべる | 2008-04-13 17:53
ご指導ありがとうございます。
勉強したいことばかりで、はてさてどうしたものか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2008-04-15 21:41