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834年は都良香の生年。漢詩に長け、歴史にも広い知識を持っていたとされる。漢詩人としての評価は半ば伝説と化しており、羅城門の鬼が彼の詩に感心したとまで伝えられている。インテリタレントがスピリチュアル方向で評判になった…ってのとはちょっと違うんだろうな。
などと自らのレベルの低さを露呈しながら、今日はターゲットタエボーの二頭筋&三頭筋および背中。わしじゃあせいぜい、鬼を笑わせるぐらいしかできんなあ。
833年は唐の第20代皇帝にあたる懿宗の生年。先代である宣宗の長子だが、その暗愚さ故に宣宗が健在なうちは立太子されることはなかった。宣宗が病に倒れる(丹薬の中毒症状だと言う)と、それまで抑制されてきた宦官らが懿宗を擁立する。父の崩御を受けて即位するが、政治は宦官らに任せきりだったようである。このため在位中は農民らの反乱が多発し、唐は滅亡への歩みを早めていった。この人の頃はまだ壊滅的な事態に陥らなかった訳で、そういった意味では案外個人としては幸せだったのかもしれない。
などと無責任にほざきつつ、今日はTAEBO AMPED入門編。暗愚にやっても天寿を全うできるような地位にはないから、まあいろいろとあがきますよ、はい。
832年はサマラトゥンガ王の没年。仏教を奉じたシャイレーンドラ朝だったが、彼の死とともにジャワではヒンドゥー教が勢力を盛り返す。 日本における仏教の受容と、インドネシアにおける仏教・ヒンドゥー教のせめぎ合いは比較すると面白そうに思えるが…なーんも知らない。
などと開き直りながら、今日は最終プログラム。現状は現状、そこであきらめるかどうかは別。
831年は第一次ブルガリア帝国のハン、オムルタグの没年。テュルク系遊牧民であるブルガール人と、国内多数派であるスラブ人の融和に努めたとされる。その一方、東ローマ帝国への警戒からキリスト教には厳しい態度をとり続けた。彼の長男エンラヴォタがキリスト教に帰依したため、これにハンの位を継がせなかったほどである。寛容と峻別を同時に成り立たせる力量が、上に立つものには必要と言うことだろうか。
などと適当にほざきつつ、今日はターゲットタエボーの胸&肩および背中。なんでもだらだらになってしまってはいかんね、ほんとに。自戒を込めて。