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2010-02-28

コメント

ばべる

「民族感情」なるものに拠っていたナチの司法の実態が無法そのものだったことから、独裁制と法治は相容れないような印象を持たれがちですが、少なくとも西欧の法思想史においては決してそのようなことはありません。

現実社会の法治について最初に体系化し、是とする評価を与えたのはもちろんアリストテレスですが、彼の『政治学』や『ニコマコス倫理学』においては法治と統治制度は基本的に別の問題として扱われています。まず『政治学』では恣意的な独裁(僭主政)と公のための独裁(王政)が区別されていることに注意すべきでしょう。

高校の教科書にはまず書かれていないことですが、前近代の最初の(少なくとも概念の上では)強力な独裁制とも言える絶対主義は、ガチガチの法治主義によってバックアップされていました。社会正義の実現のための最終的な回答として、情け容赦ない法治が必要とされたのです。

現代の多くの国に蔓延しているような独裁体制の構造的な腐敗、は法治とはまたまったく別の問題、体制そのものではなく、官僚制というシステムに内在する近現代固有の問題です。

西欧に法治主義が出現したのはおおよそ12~13世紀のことです。それから数百年を経て未だに中国がそれを採用していないということは、つまりそれは「進んでいる」「遅れている」などということではなく、文化の根本的な違いに基づいているのです。ですから「中国に法治主義を移植する」などと気軽に言ってみるのはナンセンス以外の何ものでもありません。

とは言え、契約と自由市場を絶対の前提とする西欧式の経済と、中国の徳治主義とは明らかに相容れないものです。中国共産党が直面する最大の問題の一つは、その矛盾の克服、さもなくば解決の引き伸ばしにあると考えるのはさほど間違ってはいないでしょう。

ばべる

近代官僚制の構造については、出発点としてとりあえずウェーバーの古典中の古典『官僚制』を。通勤読書にうってつけです。

近代の独裁と法治の関係の起源については、どうも良い一般書がないので研究書となってしまいますが、スキナーの傑作『近代政治思想の基礎』を、お薦めします。
少し厚目の本ですが、文章は平明かつ非常に分かりやすく書かれていて、専門外のわたしでも1日で読めました。図書館にありましたらぜひ。

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