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2004-11-17

コメント

ばべる

私見では、もちろん玉虫色的現状の問題優先的ではあるものの、まあよくまとまった案だと見えるのですが、どのあたりがまずいと思われますか?

とは言え、もっともポジティヴに評価するのは憲法改正手続きの緩和なのですが。

確かにこの案には長期的戦略が欠落していますが、ポスト冷戦期初の実務派政権の実現さえたいした前進と呼べる現在の政治環境の産物としては仕方ないのではないかと。
そのような場当たり的政治環境で新憲法策定作業などもっての他という批判はその通りですが、場当たり的目的のために新憲法が必要というあべこべの現実が(w

9条について言えば半世紀前、現憲法案の審議に当たり共産党が「国家の自衛権と自衛力の保持」を強硬に主張したがために、後に自衛隊の保有が「合法的に」可能になったわけですが、とりあえずこのことから得られる教訓は、憲法は社会の変化に対応して柔軟に修正改正できるようにするべきことと言えるのではないかと。

いずれにせよ専制や圧制を抑止するのは、最後の最後には憲法の条文や修正改正の手続きではなく、有権者と政府議会の良識と常識なのであって、卵と鶏のいずれが大事かと問われれば、この場合には疑いなく鶏の方と答えるべきでしょう。

Hi-Low-Mix

>憲法改正手続き
まったく同意です。

>まずい
「伝統」とか「歴史」という言葉を、国民の義務と結びつけるような形で示しているあたりがどうにも気がかりです。
それらはしょせん、為政者によってどのようにでも定義されうる言葉ですから。
国民一人一人が責任をもって述べ、論を闘わせ、その上で合意を形成していくという基本こそを、憲法では示すべきだと考えます。

ばべる

>「伝統」とか「歴史」
プラトン、ホッブズを経て全ての近代西欧国民国家の思想的バックボーンとなっている国制論、ないし法哲学の理論・議論は、日本の政治政策の実際においてはほとんど無力ですから、どのような超実定法的(つまり自然法的、概念的)文言を持ってきても空虚にしか聞こえないのは、これはまったくいた仕方のないことだと考えます。たぶん左から右までどんな傾向の主張が採用されようとも、この胡散臭さは消えないでしょう。

逆に言えば、GHQの若手スタッフたちが1週間がそこらで急造した現憲法を、超実定法的にはまったくのがらんどうであるにもかかわらず半世紀も手直しいっさいなしで運用してこられたという実績が、日本の国制論不要環境を強化してしまったのかも知れません。
まあそれは日本社会固有の特徴ではなく、アメリカの核の傘のおかげに他ならないわけですが。

そのような意味においては、マルクス主義が(これも輸入品)ほとんど唯一の「理論」であった戦後よりも、政治思想や宗教思想が複雑に入り混じった様々なテーゼが提唱されていた戦前の状況の方が活気があったと呼べるかも知れません。

>国民一人一人が責任をもって
とどのつまり、有権者が自分たちの国制を考える教育と訓練をまったく受けていないことが最大の要因だと考えます。また反知性的な情動と単純な善悪二元論を商品にするメディアの活動が、状況をいっそう悪化させていることも確かです。

Hi-Low-Mix

>まったく受けていない
この状況を改善するために、個人ができることってなんでしょうね?
自分としてはこのblogでの発言も、「できることをやっている」つもりなのですが。

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