Sankei Web「前文に『歴史と国民性』明確化 自民、新憲法で中間集約」より。
【憲法前文に盛り込むべき事項】わが国の自然とそれにはぐくまれた国民性▽わが国の歴史、伝統、文化▽目指すべき国家像▽わが国の政体、統治の基本原則▽国民主権と議会制民主主義の原則▽平和主義と国際協調主義の原則▽国の独立と国民の安全の確保▽国民の権利と義務の根本原理▽家族の尊重▽地方自治の原則▽新憲法は国民の手になる自主憲法
「わが国の歴史、伝統、文化」って言うけど、その中からなにを取り上げるつもりなんだろう? さまざまな文物・技術を四方から取り入れてきた日本の、なにが伝統なんだろう?
それが為政者によって定義され、ドグマ化していくことはないのだろうか? 新たななにかを取り入れるにあたり、むしろ障害となってしまわないだろうか?
>新たななにかを取り入れるにあたり
それは、少なくとも現代の情報化された大衆社会においては、国民と文化の責任であり、政府権力と法の責任ではないと思われます。
もちろん教育制度を通じて国家が文化に及ぼし得る影響力は未だに絶大であると評価できますが、それは理論上のことで、現状が必ずしもそうなっていないことは周知の通り。
国民国家の第一の使命は、他の国民国家と戦って(武力闘争のみを意味しているわけではありません)生き残ることであり、かなり危うくなってきた日本の地政学的な現状を鑑みた場合、この原則を憲法の形で強調することは正しい方向性と言えるのではないでしょうか。
投稿情報: ばべる | 2005-03-03 00:16
付記
もしもあえて「国風文化」というものを深層まで、それこそ国家や法よりも古い土俗の時代にまで掘り下げてゆけば、そこに見つかるのはやはり「かんながら」でしょう。谷川健一『日本の神々』岩波新書のしめくくりから引用しますと、
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人間は人間だけではやってゆけない。人間には神が要る。その神とは教義も教典も教会も不要な神であるが、その神の具現である自然が要る。神と自然への畏敬を失ったことが、現代日本の精神の荒廃を招いた。
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このような「カミのクニ」の衰えは、まさに国民国家社会の繁栄と比例してきたわけですが。
投稿情報: ばべる | 2005-03-03 13:04
まず「日本はどうあるべきか」に関する私の考え(妄想)はおおむねこんなものです。
http://hilowmix.typepad.jp/blog/2005/03/post_5.html
それゆえ、私は日本が維持すべきは「無原則に受け入れ、無限定に変質させてしまう」というスタイルだと考えます。
それもまた日本の「伝統」ではありますが、既存の文化・歴史を絶対視するような動きとは正反対だと考えます。
なにかをかたく保つのではなく、懐広くなんでも受け入れるという形で、日本はそのアイデンティティを守るべきではないでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-03-03 21:06