正しいことをする。
筋を通す。
それらを試みることなく過ごすのは、無責任だ。
しかし、それらを試みるばかりでは狭量と受け取られることもある。まして、私のように人徳に欠けるものであっては。
また、試みるばかりで結果につながらないのであれば、自己満足とのそしりも受けよう。
まず徳を積み、試みるだけでなく実現へとつなげられる力量を得るべきなのだろう。
それまでは「正しくない」だの「筋が通らない」だのといいつのるべきではないのだろう。
少なくとも、自らが良い結果を実現させることを願うならそうだ。
だが、たとえ自らが「良い結果を実現させる」者になることを重要視しなければ?
世のため人のために自らを犠牲にする精神を、私は尊んでいたのではないのか?
しかしそれは、自らを軽んじる愚行なのだろうか。
とはいえ、自らを重んじるに足る存在とも思えない。
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