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いわゆるミュシャ・スタイルはどこから生じたのだろう? 初期のパステル画などとそれらの間がぽっかり抜けているようにみえるが、作成時期などはオーバーラップしているようだった。 印刷システムに起因したのか? 浮世絵などの影響があったのか?
オーストリア=ハンガリー帝国への反感と民族文化の理想化という点では、ナチス・ドイツと相通ずる位置に彼の作品はあったと思われる。 WW2を前に彼は世を去ったわけだが、彼の目にナチズム・ファシズムはどう映ったのだろうか?
美術史は専門外なのでたぶん頓珍漢なことを書いていると思いますがご勘弁を。
ミュシャのアール=ヌーヴォー・スタイルは、まさに当時のパリの空気の産物そのものだと思われます。浮世絵の影響については言わずもがな。 若き日の彼はヴィーンで装飾芸術を、ミュンヘンで絵画を学び、これらがパリ時代以降の彼の華麗な仕事の基礎を形成しています。
ただ、アールー=ヌーヴォーの第一人者と称されることを嫌ったという逸話が示すように、彼自身にとってパリ時代の仕事は多分に「生計の手段」でしかなかった面があり、おっしゃる通り、芸術家ミュシャの本質は実際には祖国ベーメンを愛する(遅すぎた)ロマン主義者と呼べるでしょう。
アメリカを経てチェコに帰国した後の彼は、土俗的な祖国賛美の作品を制作しますが、それらはほとんど評価と理解を得ることがありませんでした。 しかし皮肉にも愛国者ミュシャに対するナチスの評価は非常に高く、ドイツ軍のチェコ侵入直後、前年から肺炎を病んでいた彼はゲシュタポのブラックリストに従って逮捕され、獄死するのです。
>ナチス・ドイツと相通ずる位置 ロマン主義とは愛国主義であり、つまりナショナリズムの文化的な一側面であります。それは普遍主義とは決定的に対立するもので、つまり、各国のロマン主義は政治的には互いに激しく敵対する宿命を内在しているのです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-04 20:53
末期の作品も決して悪くはないんですけどねぇ プラハ城のビート大聖堂は観光名所(笑)
投稿情報: みじゅはりゃ | 2005-05-04 21:08
>末期の作品も決して悪くはない んー、たぶん大戦間期デガダンに首まで浸かった当時の人たち的には、「古杉でダサ杉」だったということだろうと。
我々的にはアール=ヌーヴォーもロマン主義も遠い過去のものなので今こそ客観的な評価ができるはず……つか、ミュシャはフスやスメタナと共に新生チェコの国民的英雄に祭りあげられていますが、何か?
投稿情報: ばべる | 2005-05-04 21:51
>客観的な評価 現代の我々からは「彼らが陥っている」と感じられるように、我々もまた後代の人々から見れば、なにかに陥っているのでしょうね。 それを感じられただけでも見てきた価値はあったと思われます。 >末期の作品 絵画についてほとんど知識もセンスもないためでしょうか、あれらと「ナチス芸術」の間の差異がよくわかりません。 パリでの仕事ばかりが高く評価され、アメリカでも似たような仕事を「させられた」(?)のはきっと不本意だったのでしょうね。 還暦すぎても「ガンダム」をやるカントクのような気分だったのでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-05 08:55
>我々もまたなにかに陥っている ニーチェはそのことを指弾していたわけですが、今では市場経済の中にみんな飲み込まれてしまいました。
>ナチス芸術 ナチスに一貫した政治理念が存在しなかったのと同様(多頭主義論)、確たる芸術・文化の理念もまた存在してはおらず、ゆえに「ナチス芸術」とはナチスの統治に現れた「ナチス芸術政策」を指すことになります。
ナチス芸術(政策)の大きな特徴は、 1:大衆教育と宣伝の手段としての芸術 2:人種主義と復古主義、反近代主義(血と土) 3:内面性への無理解
特に重要なのが3です。ナチス芸術では「壮大なもの」「美しいもの」の単なる外面的な性質のみを精確にコピーすることが推奨されました。キュービズムや抽象芸術のように物事の内面、本質、精神を深く洞察して表現する技法とはまったく無縁であり、それどころかこれらの芸術は非アーリア的「頽廃芸術」として激しく排斥されたのです。
翻って19世紀ロマン主義は、(従来の古典主義のような)形式に捉えられず、己の内面と情感を奔放に叩きつけることを旨としており、まさに、この「人間性」に対する敬意の有無こそが、ロマン主義と(そしてミュシャと)ナチス芸術とを決定的に隔てているものです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-06 00:35
ご教授本当にありがとうございます。 >内面性への無理解 オカルティズムへの傾倒もまた、ナチズムの一要素だと考えます。 それと「内面性への無理解」というのは彼らの中でどのように結びついていたのでしょう? あるいは、それこそ「多頭主義」のあらわれの一つなのでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-07 08:30
>「多頭主義」のあらわれの一つ 部分的には、そう言って良いと思います。 ナチスとオカルティズムとの関わりは巷間ですぐ持ち出される話題ですが、実際には、オカルトや神秘主義に傾倒していたナチス政権の高官はヒムラーただ1人で、その彼とても自分のSS組織の中でさえ、ほとんど同調者を得られない状況でした。
またここで言う「内面性」とは単に「無形のもの」のことではなく、つまり「人間性」のことです。個人の人格が、常に絶対的に組織にオーバーライドされるファシズム体制においては、人間性の主張は必然的に排除されるべき事象なのです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-07 10:18
>人間性 たしかにそれは大きな差異ですね。 ようやく得心できたように思えます。 >オカルティズム アルフレート・ローゼンベルグあたりはオカルティズムとはまた別なのでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-07 10:48
一言でまとめると、「個人の意見や情念を表現することが許されない社会の芸術」がファシズム体制の芸術であって、そのような芸術の価値は体制への奉仕の度合いによってのみ第一義的に測られるのです。もちろん、鑑賞もそのような価値観に従ってなされねばなりません。
>ローゼンベルク 彼の人種理論は狭義のオカルト(神秘主義、隠秘主義)と言うよりは、哲学と擬似科学とが混交したもので、その起源は19世紀ヨーロッパにかなり有力であったパラダイムに求められるものです(例えば黄禍論)。
またローゼンベルクはナチス権力機構においては終始にわたって真の重要人物ではなく、その影響力は(少なくとも党と政権内部では)限定されたものでした。
政治主体としてのナチスを見るに当たって注意せねばならないのは、彼らの「イデオロギー」が目的であったのか手段であったのかという点です。 ローゼンベルクの人種理論やダレの「血と土」理論は、確かにナチスの大衆支配の過程で強力なプロパガンダ手段の役割を果たしましたが、他方、政策や芸術の分野と同様、ナチスは一貫した公式のイデオロギー理論を最後まで作ってはいないのです。ナチス教育は体制への忠誠を強化することには成功しても、従来の科学や宗教に取って代わる「アーリア的」パラダイムを確立することはなし得ていません。
多頭主義体制とはつまり、互いに支配されることを嫌う権力組織の連合体ということであり、その中で本当にものを言うのはイデオロギーではなく権力でした(各々の組織、党やSSはさらに小さな権力組織に割拠されていました)。
投稿情報: ばべる | 2005-05-07 22:26
>疑似科学 「『ムー』あたりに載りそうな話だから」といってオカルトの一言でくくれると考えていたのが浅はかでありました。 勉強になります。 今回の案件では、ことに「歴史的経緯」と「体制内(システム内)での位置づけ」を理解せずにキーワードのみで判断する危険を理解できたと考えております。 今後もご指導のほどよろしくお願いします。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-07 22:59
人文科学で論を立てる際には、ある言葉(「オカルティウム」「革命」等)を自分がどう定義しているのか、あらかじめきちんと宣言しておくことがとても重要になります。 ネット上でも時折見られることですが、これをしておかないとたちまち話は噛み合わなくなり、誤解や曲解が生じることになりかねません。
言葉の定義についての本では、 中村雄二郎『術語集 気になることば』岩波新書 が読みやすく面白くてお奨めです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-08 00:27
この記事へのコメントは終了しました。
美術史は専門外なのでたぶん頓珍漢なことを書いていると思いますがご勘弁を。
ミュシャのアール=ヌーヴォー・スタイルは、まさに当時のパリの空気の産物そのものだと思われます。浮世絵の影響については言わずもがな。
若き日の彼はヴィーンで装飾芸術を、ミュンヘンで絵画を学び、これらがパリ時代以降の彼の華麗な仕事の基礎を形成しています。
ただ、アールー=ヌーヴォーの第一人者と称されることを嫌ったという逸話が示すように、彼自身にとってパリ時代の仕事は多分に「生計の手段」でしかなかった面があり、おっしゃる通り、芸術家ミュシャの本質は実際には祖国ベーメンを愛する(遅すぎた)ロマン主義者と呼べるでしょう。
アメリカを経てチェコに帰国した後の彼は、土俗的な祖国賛美の作品を制作しますが、それらはほとんど評価と理解を得ることがありませんでした。
しかし皮肉にも愛国者ミュシャに対するナチスの評価は非常に高く、ドイツ軍のチェコ侵入直後、前年から肺炎を病んでいた彼はゲシュタポのブラックリストに従って逮捕され、獄死するのです。
>ナチス・ドイツと相通ずる位置
ロマン主義とは愛国主義であり、つまりナショナリズムの文化的な一側面であります。それは普遍主義とは決定的に対立するもので、つまり、各国のロマン主義は政治的には互いに激しく敵対する宿命を内在しているのです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-04 20:53
末期の作品も決して悪くはないんですけどねぇ
プラハ城のビート大聖堂は観光名所(笑)
投稿情報: みじゅはりゃ | 2005-05-04 21:08
>末期の作品も決して悪くはない
んー、たぶん大戦間期デガダンに首まで浸かった当時の人たち的には、「古杉でダサ杉」だったということだろうと。
我々的にはアール=ヌーヴォーもロマン主義も遠い過去のものなので今こそ客観的な評価ができるはず……つか、ミュシャはフスやスメタナと共に新生チェコの国民的英雄に祭りあげられていますが、何か?
投稿情報: ばべる | 2005-05-04 21:51
>客観的な評価
現代の我々からは「彼らが陥っている」と感じられるように、我々もまた後代の人々から見れば、なにかに陥っているのでしょうね。
それを感じられただけでも見てきた価値はあったと思われます。
>末期の作品
絵画についてほとんど知識もセンスもないためでしょうか、あれらと「ナチス芸術」の間の差異がよくわかりません。
パリでの仕事ばかりが高く評価され、アメリカでも似たような仕事を「させられた」(?)のはきっと不本意だったのでしょうね。
還暦すぎても「ガンダム」をやるカントクのような気分だったのでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-05 08:55
>我々もまたなにかに陥っている
ニーチェはそのことを指弾していたわけですが、今では市場経済の中にみんな飲み込まれてしまいました。
>ナチス芸術
ナチスに一貫した政治理念が存在しなかったのと同様(多頭主義論)、確たる芸術・文化の理念もまた存在してはおらず、ゆえに「ナチス芸術」とはナチスの統治に現れた「ナチス芸術政策」を指すことになります。
ナチス芸術(政策)の大きな特徴は、
1:大衆教育と宣伝の手段としての芸術
2:人種主義と復古主義、反近代主義(血と土)
3:内面性への無理解
特に重要なのが3です。ナチス芸術では「壮大なもの」「美しいもの」の単なる外面的な性質のみを精確にコピーすることが推奨されました。キュービズムや抽象芸術のように物事の内面、本質、精神を深く洞察して表現する技法とはまったく無縁であり、それどころかこれらの芸術は非アーリア的「頽廃芸術」として激しく排斥されたのです。
翻って19世紀ロマン主義は、(従来の古典主義のような)形式に捉えられず、己の内面と情感を奔放に叩きつけることを旨としており、まさに、この「人間性」に対する敬意の有無こそが、ロマン主義と(そしてミュシャと)ナチス芸術とを決定的に隔てているものです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-06 00:35
ご教授本当にありがとうございます。
>内面性への無理解
オカルティズムへの傾倒もまた、ナチズムの一要素だと考えます。
それと「内面性への無理解」というのは彼らの中でどのように結びついていたのでしょう?
あるいは、それこそ「多頭主義」のあらわれの一つなのでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-07 08:30
>「多頭主義」のあらわれの一つ
部分的には、そう言って良いと思います。
ナチスとオカルティズムとの関わりは巷間ですぐ持ち出される話題ですが、実際には、オカルトや神秘主義に傾倒していたナチス政権の高官はヒムラーただ1人で、その彼とても自分のSS組織の中でさえ、ほとんど同調者を得られない状況でした。
またここで言う「内面性」とは単に「無形のもの」のことではなく、つまり「人間性」のことです。個人の人格が、常に絶対的に組織にオーバーライドされるファシズム体制においては、人間性の主張は必然的に排除されるべき事象なのです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-07 10:18
>人間性
たしかにそれは大きな差異ですね。
ようやく得心できたように思えます。
>オカルティズム
アルフレート・ローゼンベルグあたりはオカルティズムとはまた別なのでしょうか。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-07 10:48
一言でまとめると、「個人の意見や情念を表現することが許されない社会の芸術」がファシズム体制の芸術であって、そのような芸術の価値は体制への奉仕の度合いによってのみ第一義的に測られるのです。もちろん、鑑賞もそのような価値観に従ってなされねばなりません。
>ローゼンベルク
彼の人種理論は狭義のオカルト(神秘主義、隠秘主義)と言うよりは、哲学と擬似科学とが混交したもので、その起源は19世紀ヨーロッパにかなり有力であったパラダイムに求められるものです(例えば黄禍論)。
またローゼンベルクはナチス権力機構においては終始にわたって真の重要人物ではなく、その影響力は(少なくとも党と政権内部では)限定されたものでした。
政治主体としてのナチスを見るに当たって注意せねばならないのは、彼らの「イデオロギー」が目的であったのか手段であったのかという点です。
ローゼンベルクの人種理論やダレの「血と土」理論は、確かにナチスの大衆支配の過程で強力なプロパガンダ手段の役割を果たしましたが、他方、政策や芸術の分野と同様、ナチスは一貫した公式のイデオロギー理論を最後まで作ってはいないのです。ナチス教育は体制への忠誠を強化することには成功しても、従来の科学や宗教に取って代わる「アーリア的」パラダイムを確立することはなし得ていません。
多頭主義体制とはつまり、互いに支配されることを嫌う権力組織の連合体ということであり、その中で本当にものを言うのはイデオロギーではなく権力でした(各々の組織、党やSSはさらに小さな権力組織に割拠されていました)。
投稿情報: ばべる | 2005-05-07 22:26
>疑似科学
「『ムー』あたりに載りそうな話だから」といってオカルトの一言でくくれると考えていたのが浅はかでありました。
勉強になります。
今回の案件では、ことに「歴史的経緯」と「体制内(システム内)での位置づけ」を理解せずにキーワードのみで判断する危険を理解できたと考えております。
今後もご指導のほどよろしくお願いします。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2005-05-07 22:59
人文科学で論を立てる際には、ある言葉(「オカルティウム」「革命」等)を自分がどう定義しているのか、あらかじめきちんと宣言しておくことがとても重要になります。
ネット上でも時折見られることですが、これをしておかないとたちまち話は噛み合わなくなり、誤解や曲解が生じることになりかねません。
言葉の定義についての本では、
中村雄二郎『術語集 気になることば』岩波新書
が読みやすく面白くてお奨めです。
投稿情報: ばべる | 2005-05-08 00:27