その一方で、国鉄の分割民営化後、新規採用が一時見合わされたため、30歳代の運転士がほとんどおらず、先輩から若手への「技能伝授」が不足気味だという指摘が、現役運転士の間でも上がっている。
「ぼくの場合は40年以上も前の話ですから」。大石さんはそう前置きしながら、「師匠には『(停止位置を)飛び出すくらいでなければうまくならない。見習いは飛び出すのが仕事だ』と言われるおおらかな雰囲気だった。今はミスに非常に厳しく、十分な自信が持てないまま、過密ダイヤの持ち場を任されたのではないか」
また大石さんが特に違和感を覚えるのは、JR西日本でミスを起こした運転士に課された「日勤」教育だ。「厳しいペナルティーを課せば心理的に追い詰められる。トイレ掃除や感想文で運転がうまくなるはずもない」と疑問を呈する。
非合理的で、いじめにも似た教育と言うと旧軍などを思い出す。
漠然と「JR西日本でのそれもそこに由来するのではないか」と思っていたが、どうやらとんだ誤りだったようだ。
しかし、だとするとこんな無意味で悪意に満ちた「教育」はどこから生まれたのか。
あれほど過去を断ち切り否定した国にあって、なぜかつてと同様の道をたどるのか。
日本人の心性そのものに起因しているのか?
だとすればその内のどの部分なのか? 回避するためにはどうすべきなのか?
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