Sankei Webより。
ボースは1945年8月18日、台北の松山空港で中国・大連に向かう際、搭乗機が離陸に失敗し炎上、全身火だるまになって病院で48歳の生涯を終えたとされる。遺体は台北で荼毘(だび)に付され、遺骨は日本に移送されたというのが定説だ。
これに対し、1999年に組織された政府の調査委員会は今月17日、報告書を公表。(1)ボースは台北の飛行機事故で死亡しなかった(2)よって日本に保管されている遺骨はボースのものではない-と結論付けた。
(中略)
初めて定説を否定した今回の報告書についてインド政府は、「細かく吟味したが、その結論には同意できない」とする異例の意見書を付けて、報告書とともに国会に提出した。
「西郷さんは生きていた!」のたぐいかな?
しかし、この時期にそんな調査をおこない、あまつさえ生存説を示す理由は何なのだろう。
中国やイスラム圏に対抗するための、ナショナリズム発揚?
ヒント:
1998年 人民党第1党。国民会議派の長期政権終焉。
1999年 ボース調査委員会発足。
2004年 国民会議派政権奪還。
2006年 ボース報告書。
複雑な背景=多元的なボース像
1:インド独立の英雄
2:国民会議派の英雄
3:国民会議派の長期政権への批判の象徴
4:ベンガル・ナショナリズムの英雄
このようにからみあった多くの思惑をほぐしていったところに、今回の報告書の政治的な意味があるのではないかと推測します。良質な報道を期待。
いずれにせよ、外向けではなく内向けの動きのようですね。
もしボースが台湾で死んでいなかったとしたら、当初の目的通りモスクワへ飛んだと考えられますが…
投稿情報: ばべる | 2006-05-20 13:57
報告書をめぐりボース家の対応分かれる
蓮光寺の遺骨のDNA鑑定請求の動きも?
ttp://www.outlookindia.com/pti_news.asp?id=385748
複雑です
投稿情報: ばべる | 2006-05-20 14:10