マッキMC202<フォルゴーレ>はイタリアの戦闘機。その名はイタリア語で「電光」を意味する。
マリオ・カストルディが最初に開発した戦闘機MC200<サエッタ>(雷電)は運動性と急降下時の加速、そして視界に優れ、イタリア空軍において重要な位置を占めていた。だが<サエッタ>の空冷エンジンA74RC38の出力はわずか870馬力。おまけにパイロットらが極端に視界を重視したため、機体は上に盛り上がり、当初密閉式だったキャノピーも開放式に改められていた。当然ながら速度は限定され、最大502km/hにとどまる。
マッキは、胴体を細めに再設計し、密閉式キャノピーへと戻し、さらに1000馬力のフィアットA76RC40(空冷)を搭載したMC201を計画する。だがそれと並行して、ドイツ製の水冷エンジンDB601A-1(1175馬力)を搭載する新型機も開発されていた。これが<フォルゴーレ>である。
<フォルゴーレ>の主翼および尾翼は<サエッタ>から流用されていたが胴体は別設計であり、MC201とも異なっている。MC201が旧式化したA74を搭載したままで初飛行をおこなった同じ月に、<フォルゴーレ>も初飛行している(1941年8月10日)。この時点でイタリア空軍は<フォルゴーレ>を選択し、ただちに生産にはいった。
<フォルゴーレ>は1941年から部隊配備がはじまり、その優れた運動性と速力でホーカー<ハリケーン>やカーチスP-40を破った。
なお、中途からはエンジンをDB601を国産化したアルファロメオRA1000RC41に改めている。
これらの流れからは、戦闘機の設計においてはエンジンの選定と、主翼および尾翼の設計が重要であることが見て取れる。意外なほど、胴体の再設計はリソースを要しないように思われる。
日本では川崎航空機が土井武夫技師が主翼設計流用の手法をよくおこなっている。陸海軍の開発戦略の相違もあろうが、川崎が非常に多くの航空機開発に成功しているのは、この手法によるところが大きい。
てな訳で、ワシも胴体を再設計したいにょーと思いつつ最終プログラム(ビリーバンド使用)。妙な「現場の意見」で水ぶくれになりませんように。
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