臨床してて思うこと(精神科)「うつで自殺した部下」より。
私はあきらかに自らを過大評価している。センスなり知識なり洞察力なりといった点で、優れた資質・能力を有していると思っている。だがまあ、さすがにこの歳になると「どうやらそうでもないらしい」ということに気づいたりもする(得心していないあたり、救いがたいのだが)。おそらくは単純に、半端ものだから与えられた(得た)場でニッチをそれなりに獲得し続けていたというだけなのだ。
とはいえ、そんな生き方を選んできたというのは「そうしないと生きていけなかったから」だ。人並みにまっとうな生き方(うまく周囲と調和したり、うまく自分自身を制御・向上したり)ができなかったから、そんなニッチで自らの生きる場を獲得してきた。そんな場で生きると言うことは同時に「まっとうな生き方」から遠ざかることであり、多くの面で「人並み以下」へと退化していくということだ。
そんな輩がようやく「自らは人並み以下なのだ」と気付いた場合、どう生きていくべきなのだろう。
「自分には人並み以下の結果しかだせません」と言うべきなのだろうか。だがそんな人間に仕事を任せる者もいないだろう。
自らの無能を語らず、よくない結果が出たときに頭を下げ続けるべきなのだろうか。だがそんな人間を使い続ける者もいまい。これからまだ伸び城がある若者でもないのならば、なおさらだ。
では、人並み以下の結果しか期待されない仕事に就くか。そこにはすでにより低廉な人材がいるだろう。となると、人並み以下のそのまた下ぐらいしか居場所はないことになる。ニッチからいきなりの2ランクダウンは本人にとっても家族にとっても選択しづらい。
まあ、あくまで選択に抵抗があるというだけで、不可能という話ではないのだが。
とはいえ、それゆえに自らを死に向かわせてしまうという事例も理解できる。というか、それぐらいしか選択できないのではないかと私は考える。
おそらく私は視野狭窄に陥っている。きっとなにかを見落としているだろう(なんせ人並み以下だし)。だが、その見落としているなにかってなんなのだろう。本当に見当がつかない。
「人並み以下だ」と本当に知ることができたのであれば充分に「人並みか以上だ」と思います。なにかを見落としていると思えて見つからない場合は、それが知る必要が無いものか知ってはならぬものかもしれませんよ。まあ、お猪口に海の水は収まらないが、月を写し込むことはできるもの…だよ。
投稿情報: kaz1 | 2008-05-06 14:17