349年は後趙の第3代皇帝である石虎が病没した年。
石虎は先代の石弘を廃したり、太子である石宣らを惨殺したりと、はなはだ凶暴な人物だったようだ。その割には仏教を尊んだりもしたらしい。まあ、ことに中国の場合、歴史は後世の人々に都合良く書き直されると聞くから、彼の凶暴さについても割り引いて考えた方がいいのかもしれない。
とはいえ国家の安定とは縁遠い人物だったのは確かなようだ。なにしろ彼が没すると、その跡を継いだ石世は、兄の石遵によってほんの一月ほどの間に倒された。皇位は石遵のものとなったが、周囲はこれに反発、半年ほど後に養子によって殺害される。
つまり349年に、後趙は3人の皇帝を失ったこととなる。どこの世紀末救世主伝説なんだか。
てなことを考えつつ今日もTAEBO1。うわー、わしも瞬く間に打ち倒されそうだわい。
養子になっていた漢人の冉閔(石閔)は、王家の内紛に乗じて漢人勢力の復興を図り決起したので、異民族の内紛に民族戦争がプラスされてそれはもう大変なことに。
>彼の凶暴さについても割り引いて考えた方がいいのかもしれない
息子の一族を皆殺しにした時、まだよちよち歩きの孫が服の裾にしがみつくのを、泣きながら引き剥がして刑場に送ったと伝えられているので、血と涙はあったようです。
投稿情報: ばべる | 2008-08-02 00:29
そのあたりの仮借ない姿勢というのは、日本人には乏しい「美徳」だとは思うのですが…やっぱスゴイわ。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2008-08-02 19:29