373年は神学者アタナシオスの没年。
彼は325年、第1回ニケア公会議にて「イエス・キリストと『父なる神』は同一の実体ではない」とするアリウス派を論駁し、ついにはこれを異端とみなすに至った。
彼はその後、聖霊と「父なる神」もまた同一の実体である旨を主張し、これが後の三位一体論の基礎となった。
三位一体論はいまだにピンとこない。私には、イスラム教徒のように、イエスを「預言者の一人」とみなすほうが自然だと思える。また、聖霊なる概念もなんだか不思議だ。全知全能の神なんだから、そんな媒介を想定しなくてもよさそうなもんだが。
ま、こんなことを言うのは、私が信仰にうといからなのだろう。素人目には、肝心のポイントすらわからないことが多いものだ。
てなことを思いつつ、今日は腹筋プログラム。
腹筋は、どこをどう動かすかイメージするかしないかで大きく負荷が異なる。信仰や神学もまた、そんなものなのかもしれない。
長いギリシア哲学の系譜を持つ西洋人の論理的な思考が、どうしてもキリストの神性をつまびらかにせずにはいられなかったことが一つ、
多神教を奉じていたゲルマン人にとって、たぶんアリウス派の考え方の方がカトリックよりも馴染みやすかったであろうことが一つ、
そしてキリストの神性をめぐる教義上の対立は、巨大な帝国では必然的に内外の政治的対立を招かざるを得なかったことが一つ。
数世紀後、今度は聖像画(イコン)をめぐる教義の対立が同様の破壊的な政治対立を起こすことになります。
投稿情報: ばべる | 2008-09-11 17:06