モラン・ソルニエMS406はフランスの戦闘機。前身に当たるMS405の初飛行は1935年、MS406の量産は1938年からはじめられた。1939年から部隊への配属が始まり、ドイツ軍がフランスへと侵攻した時点では、フランス単座戦闘機の半数以上が同機だった。
単葉で引き込み脚、密閉風防と新時代にふさわしい側面も備えていたが、同時に支持付き水平尾翼や後部胴体が羽布張りであるなど旧式な部分もあった。とはいえ、イギリスのハリケーンだって木材や羽布張りを多用していたし、ドイツのMe109だってE型まで水平尾翼に支持を付けていた。
ただいかんせん、それらと比べエンジンが非力だった。液冷のイスパノスイザ12Y31は860馬力で、同時期のMe109Eやハリケーンが1000馬力超だったのと比べると見劣りがする。ご存じの通り戦闘機の成功には優れたエンジンが欠かせない。MS406は格闘戦においてはMe109Eと互角だったものの、他の面では圧倒され、劣勢のまま休戦に至った。
その後もビシー政権下で1個大隊が同機を運用し、英軍機と戦闘を交えたこともある。また、自由フランス軍のMS406は北アフリカでイタリア軍と矛を交えている。
かようにあまりぱっとしなかったMS406だが、輸出先では意外な活躍を示している。休戦後、ドイツは捕獲したMS406をフィンランドに送った。さらに1943年、ドイツはソ連から捕獲したクリモフM105Pエンジン(1100馬力)を同国に送った。実はこのM105Pはイスパノスイザから発展したエンジンであり、12Y31と支持点などが同じだった。遅ればせながら1000馬力超のパワーを得たMS406はメルケ・モラン(またはラグ・モラン)と呼ばれ、対ソ戦において奮闘する。
またスイスでは、ザウラー社がライセンス生産した改良型エンジンSLM12Y-S1(1100馬力)を搭載したD3801を生み出し、1948年まで使用している。
馬力強いは百難隠す、というところか。てなことを考えつつ今日はエリート:ミッション3。まずはしぼんだ筋肉を回復することに注力すべきかなあ。
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