舌禍を繰り返す石原慎太郎都知事がまたつまらないことを言ったらしい。
東京都の石原慎太郎知事は27日の定例記者会見で、北朝鮮が弾道ミサイルの発射準備をしていることに関連し、「こんなことを言うと怒られるかもしれないが、変なものが(日本の)間近に落ちるなんてことがあった方が、日本人は危機感というか、緊張感を持つんじゃないかな」と述べた。
[From 時事ドットコム ]
まず、本件に関する自分の立場を明らかにする。
私は「北朝鮮のミサイル攻撃がきっかけとなり、日本の方向性が変わったら」というネタで小説を書くことを考えたこともある。道路族以上に防衛族が幅をきかせ、地方選挙では与野党いずれの候補もPAC3基地の誘致をうたうとか、そんなのだ。おそらく感性としては石原都知事に近いのだろう。
だが、政治家がおおやけの場で今回のような発言をするべきではないと私は考える。市民が危機感・緊張感を高めるべきだと考えるなら、それを自らの言葉で述べ、納得させるのが政治家の仕事だ。「トラブルが発生することで市民が勝手に危機意識を強めたらいいな」などと考えているのであれば、それは無責任というものだ。そんなのは「景気が悪いから売り上げも落ちました」と言ってる経営者と同じだ。外的条件に流されるだけならたわけでもできる。外的条件が厳しかろうが、進むべき方向性を示し、その実現に努力するからこそ、政治家であり経営者だろう。
さて、本件については、さまざまなブログで意見が述べられている。で、その中でちょっとひっかかったのが一件。
「批判も出そうだ」って、そりゃ出るでしょ。
国民に緊張感とか、持たせないようにするのが政治家の仕事なんじゃないの?
[From ウルトラ警備隊西へ - 男の魂に火をつけろ!]
同ブログにもコメントしたが、私はこの意見には賛同できない。日本国民は主権者であり、国政について責任がある。緊張感なり危機意識なりはそれぞれが持つべきであり、政治家に「国民に緊張感を持たせないようにしてくれ」などと期待するのは無責任だ。
で、それに対するコメントについてもまたひっかかった。
国民が主権者として危機意識を持つのはいいですが、政治家がそれを煽るってのは間違いとしか思えないんですよね。排外意識を高めることはなんのメリットもないと思うんです。
[From ウルトラ警備隊西へ - 男の魂に火をつけろ!]
ここでは「危機意識」がいつのまにか「排外意識」にスライドしてしまっている。おそらく、ごまかしなどの作為的なスライドではあるまい。「危機意識」と「排外意識」がセットになってしまうケースに、多く接してしまったがゆえの錯誤ではないかと推測する。
危険を感じたとき、誰もがその原因を排除したいと思うだろう。人として生き物として当然のことだ。だが、そこで排除ばかりしていては、人は人間として生きられない。社会を形成できない。「危機」という「外的条件」の中でどう対応すれば生きていけるのか。単純な排除ですむケースはむしろ少ない。その危機自体は「排除」で回避できるかもしれないが、そんな乱暴者はたいてい「新たな脅威」として周囲に受け止められるからだ。
人間は、さまざまに交渉を繰り返して歴史を紡いできた。残念ながらその交渉の手段として、武力はいまだに有効性を保っている。威嚇なり抑止なり、その使い方は様々だが。
危険を感じたからといってすぐにその原因を排除しようとはせず、さまざまな交渉の選択肢を模索する。それが理性的な人間というものだ。感情論に走るとそうできなくなる例は多い。「英霊が血であがなった満州を失う訳にはいかない」とか言って米英と無茶な対決を試みたり。あるいは「米軍は横暴で犯罪行為を繰り返すから、日本から出て行け」などと叫んでみたり。
それらの気持ちはわかる。その場にいたら、私もそれらの意見に心を揺さぶられるだろう。だが、その動揺のままに振る舞うのは理性的でなく、主権者として無責任にすぎる。
「危機意識」から即座に排除、排外につなげず、痛みを伴う交渉(不本意な譲歩をしたり、不本意ながらも武器を手に相手を威嚇したり)をおこなう。それを意識し続けることは、日本の主権者である国民の義務だと私は考える。
石原慎太郎の4回めって、あると思う?
投稿情報: 奥様 | 2009-03-29 12:41