イ-505は帝国海軍の潜水艦。だが、日本で建造された艦ではない。
そもそもは、ドイツ海軍の機雷敷設潜水艦XB型の一隻、U-219であった。サドルタンクや船体前部などに設けられた格納庫には実に66もの機雷を搭載できる。さらに自衛用の魚雷を機雷に置き換えれば、最大90個ほども搭載・敷設が可能だった。
ドイツで最初から機雷敷設用として建造されたのはこのタイプのみのようだが、今日のドイツ海軍潜水艦にも機雷敷設用オプションが用意されている。XB型は大型なため水中運動性が悪く、大半が撃沈されているが、潜水艦による機雷敷設にはある程度の有用性があると判断されているのかもしれない。
さてU-219だが、1945年、機雷格納庫などに貨物を搭載して日本へと向かった。だが日本占領下のバタビヤに寄港中、ドイツが降伏した。これを受け帝国海軍はU-219を接収、7月にはイ-505の名を与えられた(この時期、スラバヤに移動していたと思われる)。だが艦長や水雷長を含む士官は発令こそあったものの本土から南方に向かうことができず、そのまま8月には日本が降伏、イ-505はそのまま米軍に接収された。
1947年(または1948年)、そのままインドネシアにて解体処分されたという。
敗戦間際の悪あがき、と評することもできるだろう。だが、著しい劣勢の中最期まで最善を尽くそうとした努力は、その価値を失っていまい。たとえそれが、勝利へと結実しなかったとしても。
などと思いつつ、今日はTAEBO AMPED 入門編。
まー、ちっとやそっとしんどくったって、努力はしないとね。
WW1の海洋作戦の99%までは潜水艦と機雷によって戦われ、ご承知の通りドイツなどは敷設専門の小型潜水艦を大量生産して列車でベルギーや地中海に運んで大暴れさせたわけです。
その経験から「次の戦争」のためにも敷設専門艦が開発されましたが、何の手も加えていない普通の発射管から機雷を射出することができるようになったのと、潜水艦そのものが大型化してペイロードと汎用性が格段に大きくなったことから、潰しが利かず、自衛戦闘力に欠ける敷設潜水艦はあっと言う間に時代遅れになってしまいました。
WW1後に日本はドイツの潜水艦技術を導入していますが、なにせ潜水艦の立ち位置というのが漸減作戦の補助戦力、だったので潜水艦機雷戦にはほとんど興味を向けていません。
WW2末期に米軍の潜水艦と戦略爆撃機に大量の機雷を撒かれ、息の根を止められるに及んだ時にはもはや機雷戦を研究するにも手遅れ。
投稿情報: ばべる | 2009-05-09 22:17
専用ユニットを研ぎ澄ますよりも、汎用的な能力のレベルアップが優越するというケースはいろいろな場面で見られますね。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2009-05-10 08:52
汎用性と専門性の加減は、兵器に限らず機械の設計開発によって永遠の課題ですね。
機能を特化させ過ぎるとF8F戦闘機やA-5攻撃機(これは幸いにも偵察機に転用されましたが)のように用兵が変わった時に潰しが利かず、汎用性を欲張るとAH-56攻撃ヘリやOICW小銃、MBT-70戦車のようにかさばって取り回しが悪く費用対効果がとても引き合わない代物に。
また、A-10攻撃機のように特化した機械でありながら意外に汎用性があることが(その上値段とランニングコストも安上がり)わかったりする例もあるので、一概にはどちらかに割り切れないことが状況をいっそう複雑に。
投稿情報: ばべる | 2009-05-10 16:07