筆者は、経済に関しては自由主義で、政治に関しては自由な経済取引を実現してくれる勢力を応援する一民主主義者だが、防衛などに関しては単純なハト派だ。自由主義に近い立場を持つ人たちには、日本も武装して対外的に軍隊が実力行使できる(彼らのいうところの)「普通の国」になるべきだというようなタカ派が多いが、この点には違和感を感じている。お金持ちは、暴力を使わないと自分の財産が守られないと思って心配になるのだろうか。
[From Business Media 誠:山崎元の時事日想:最終回「優しい自由主義」のススメ (3/3)]
どうもよくわからない文章だ。
「自由主義に近い立場を持つ人たち」=「彼ら」=「お金持ち」とは誰か?
その人たちは「日本も武装して」なんて言っているのか? その人たちは自衛隊を防衛力だと考えていないのか?
その人たちは「軍隊が実力行使できる」ようになるべきだと言っているのか?
そんな人は一人もいない、などということはなかろう。だが、ひどく薄っぺらで類型的に思われる。
どのみち米国にも中国にも軍事的には到底かなわないのだから、軍備に余計な費用とマンパワーを割かない方が得だし、「国」というものは人の命に代えてまで守る価値のあるものではないと私は考えている。「普通の国」は無駄なお金がかかるし、余計な奴(軍人ないしはそれに近い人々)が大きな顔をするので、願い下げだ。
これもよくわからない。
日本よりも人口の少ないイギリスやフランスは核戦力まで備えており、ときどき軍隊が国外で実力行使をしている。
彼らは「軍備によけいな費用とマンパワー」を割いており、日本以上に愚かなのだろうか。
国が崩壊したことによって「自由な経済取引」はおろか、多くの資産、尊厳、そして命が失われた事例は数知れない。
またそれがすべからく過ぎ去った時代の話という訳でもない。
「国民が総玉砕してでも国を守る」というのはナンセンスだろうが「価値のあるものではない」とする理由はなんなのだろうか?
「普通の国」では「余計な奴が大きな顔をする」というが、どこの国でそんなことがおきているのか? 先軍政治を掲げている北朝鮮はそうかもしれないが、あれを「普通の国」とは誰も思うまい。
自らを「ハト派」、いるのかいないのかわからない相手を「タカ派」とレッテル付けしているように見えるのは私の誤認だろうか。
ときとして、さして意味のないレッテルで自らと他者を区別し、優越的地位を得ているかのようにふるまう方がいる。この山崎氏もその一人なのだろうか。
だとすれば、残念な話だ。
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