アダルトPCゲームソフトメーカー233社でつくる業界団体・コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)は6月4日、強姦(ごうかん)など性暴力を描写した、いわゆる「陵辱系ゲームソフト」の制作・販売を禁止すると発表した
[From “陵辱系ゲーム”発売禁止 業界団体が自主規制 - ITmedia News]
私は変質者で、Windows PCの主たる用途はエロゲーである。なお、陵辱系そのものはあまり好きではない。
今回の措置は理解しがたく、受け入れられない。
性暴力についてはPCゲームのみならず、小説、映画、ビデオ、コミックなどでさまざまに描写されている。PCゲームのみを規制するのは合理性に欠ける。
また、娯楽から直接的な影響を受けそのままに実行するのは子供ぐらいだ。「スターウォーズ」を見てチャンバラごっこを始めるのはガキんちょで、そいつもママにしかられて「そんなことをしてはいけない」と学んでいく。その意味でアダルト作品は子供らの身近にあるべきでないが、それは他のメディアでも同様だ。そして私の記憶している限り、エロゲーのパッケージにはでかでかと「18禁」と書いてある。
「女性にとって不快だからやめるべき」との意見もあろうが、私はそれに同意しない。中年男性を陵辱するエロ作品があろうが、それを楽しむ人の存在を私は否定しない。むろん、私自らに襲いかかってくれば全力で抵抗するが。
「禁酒法時代よろしく、アダルトデジタルコンテンツをアングラで商うことで暴利を得ようとする輩がいるんだよ!」
と、陰謀論脳なら言い切ってしまうところだ。
上記のような変質者が内包する「毒素」は、なんらかの手法をもって『抜か』ないと、臨界点に達した毒素は、本人が維持していた抑止力さえ蝕み…暴走してしまうだろう。全ての暴走が犯罪に結びつくワケではないが…。
人は何かしらの毒を持っている。
しかし、『毒抜き業界』はえてして蔑まされるものが多い。エロゲーにせよエロ本にせよ性風俗業にせよ…。
一昔前までは…(とくにキリスト教文化圏において)単純な自慰行為すら罪悪という文化がはびこっていたのだが、なぜ自慰行為が(本人自身が後ろめたささえ感じるほど)卑下される文化が進化してきたのか?そうした価値感が主流になることによって、それは文化の発達にどのような影響を与えたのか…?科学的検証により迷信の呪縛から解き放たれ、自慰行為の合理性が実証された21世紀において我々は『心身の毒抜き』をどのように位置づけしていくべきか…きちんと向き合う時なのかもしれない。
自身の『毒素』とキチンと向き合おうとするHi-Low-Mixは、己を制する『もののふ』の心得を持っているといえるだろう。
投稿情報: 奥様 | 2009-06-06 10:23
エントリーとコメントには大いに同意しますが、少し気になったことを1つ。「毒素」と捉えるのが普通なんでしょうか?
投稿情報: kaz1 | 2009-06-06 12:18
毒と薬は同義語、と考えます。
その量、状況によって同じ物が毒にも薬にもなりますから。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2009-06-06 14:55
>毒と薬は同義語、
さらに補足するなら、『滋養も毒となる』。
投稿情報: 奥様 | 2009-06-06 22:42