593年は推古天皇が即位した年。そして聖徳太子が摂政となった年でもある。
この年には四天王寺の建立も始まった。崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の対決時、聖徳太子が「勝利の暁には四天王を安置する寺を建てる」と誓願したところ、見事に物部氏を打ち破ることができた。聖徳太子は誓いに従い、四天王寺の建立に取りかかったとされる。
とまあ崇仏派政権の象徴のような位置づけの四天王寺だが、だからといって神道を廃するような流れにはなっていない。まさにこの年、広島では世界遺産の一つ、厳島神社の社殿が創建されている。安芸の豪族佐伯蔵職がイチキシマヒメの神託を受けて取りかかったと伝えられるが、崇仏派の勝利について伝わっていなかったとは考えにくい。
当時の政権と地方・豪族との関係は、なかなかに微妙だったのではないかとも想像される。
などと知りもしないことを偉そうに並べ立てながら、今日はTAEBO AMPED 腹筋編。
びしっと自らを律することもできず、なかなかに微妙なところですよ、はい。
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