ラテコエール611はフランス海軍の飛行艇。長距離偵察飛行艇ブレゲーBr521<ビゼルト>の後継として開発された。
最初の要求は1935年5月に出され、ラテコエール社は610として設計を提出した。しかし12月には要求仕様の変更があり、再設計されて611と改称した。
1936年に発注され、1939年3月に初飛行した611は全金属製で、高翼単葉の主翼にノームローン14N4/5を4基搭載していた。また、空気抵抗を軽減するため、左右の補助フロート外側エンジンナセル下面に引き込めるなど、なかなか凝った設計となっている。
どういう訳か7月にはエンジンを換装され(ノームローン14N30/31)、その後も武装の変更が何度もなされている。このためであろうか、海軍への引き渡しは1940年4月だった。
海軍では同機に<アシュルナ>と名付け(機種に対する名か機体に付与した名か未確認)、北アフリカに送ったが、間もなくフランスは降伏してしまった。当然、量産計画は霧散する。
アフリカで事故に遭い艇体を損傷、修理と武装の撤去がなされ、ビシーフランス軍で連絡・輸送の任務に就いた。
しかし1941年5月、今度はフロートを損傷。再び飛べるようになったのは同年10月だった。
ところが1942年11月、<アシュルナ>は所属する部隊ごと自由フランス側に移った。以後、連合軍の長距離偵察機として従事し、1944年12月には再び連絡機に転用される。
戦後は民間機となったとする文書もあるが、はっきりしない。不運にも、1947年2月には事故で喪われてしまったのだ。
その総飛行時間は1600時間にとどまったという。
わずか一機しか生産されなかったがゆえに、ちょっとした修理や整備にもひどく時間がかかったであろうことは容易に想像できる。
もし<アシュルナ>に心があれば、自らの孤独と流転の定めをどう思っただろうか。…などとおセンチなことをほざきながら、今日はTAEBO AMPED 入門編。
まあ、不運は必ずしも不幸じゃないってことで。
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