621年は蕭銑の没年。隋の末期から唐代のはじめにかけて活躍した群雄の一人。
618年、彼は皇帝を僭称して梁をおこし、李淵の唐に対抗した。しかし、唐の攻撃を受け次々と領地を失い、さらに部下も喪っていった。猜疑心が強く、ねたみ深かったことが災いしたとも伝えられる。
そして江陵にて包囲され、ついに自らも唐に降伏する。
どういう訳か彼はここで「死すべき者は自分だけで、百姓らに罪はない」といさぎよさを見せる。さらに長安へと護送されると、李淵への屈服を堂々と拒んだ。この時、斉の田横が漢の劉邦に屈することなく自死した故事を語ったという。
李淵この拒絶に怒り、蕭銑を長安の市にて処刑した。
いったいなにが、蕭銑にいさぎよく最期を迎えさせる気持ちを与えたのか。あるいは、疑心と嫉妬にかられながらも、同時にいさぎよさを併せ持っていたのだろうか。人というものが単純ではないことを思うと、おそらく後者だったのではないか。
などとわかったようなことをこきながら、今日はTAEBO T3 イグニション(エクスプレス)。
人間がそう単純でないなら、わしにもちっとはいい面がある…のかな。
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