628年、推古天皇の治世。現在の隅田川(宮戸川)で両をしていた兄弟の網に、一体の仏像がかかった。およそ5、6センチの、金色の像という。兄弟の主人はこの像を拝すと出家し、さらに屋敷を寺に改め、供養した。これが、今日の浅草寺の始まりだと伝えられている。
もちろん、有名な雷門などはもっと後に創建されたものだ。しかし、まだ聖徳太子が現役の時代にはるか東の地で今日まで続くような寺が生まれていたとは驚かされる。
いやーほんと、あれだけ広く知られている寺についてすら全然知らないとは。まったく、勉強不足。恥じ入るばかりだ。いつもいろいろご指導いただくばかりで、まことに申し訳ない。
とはいえ、恥じているばかりって訳にもいかないので、今日はひさびさに基本プログラム。うん、本当に基本ができていない。少しずつでも学ぶしかない。
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