643年、大臣蘇我蝦夷は天皇に図ることなく、その座を息子入鹿に譲った。
同年、蘇我入鹿はつながりの深い古人大兄皇子を行為につけんと画策する。そしてその障害となる山背大兄王(聖徳太子の子とされる)を襲撃、ついには自害に追い込んだ。
父蝦夷はその知らせに怒り嘆いたと言われる。
自らが専横を重ねたあげくの息子の暴走を嘆いたというのは、どのような心境だったのか。蝦夷自身のそれは政治的必要性に駆られたそれで、息子入鹿のそれは単なる横暴だった、ということなのだろうか。限られた史料からはさまざまに推測されるのだろうが、真実はどこにあったのか特定することは難しかろう。
などと毒にも薬にもならぬことをほざきながら、今日はTAEBO T3 イグニション(エクスプレス)。
Not even justice. I want to get truth. 真実は見えるか!
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