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- 保守派として発言したりすると、守旧派やレイシストと見なされることもある。
- そんな私だが、多文化共存は強く好むところだ。守旧派やレイシストとしてはあるまじき行為にも思える。
- そも私が保守派なのは、人の悟性・理性に限界があり、それらへ過度の期待を抱くべきではないと考えるからだ。
- 悟性・理性に限度がある故、人と人とのコミュニケーションにもまだ限度がある。つまり誤解が生じる。異文化間であればなおさらだ。
- しかしコミュニケーションにおける誤解にはマイナスもあればプラスもある。人Aと人Bの間では言語に対する概念に相違が少なからずあり、それ故に時として、対話から「誤解」に基づき概念の拡張が生じる。AB両者に発生するとは限らないが、これは対話なくして有り得ぬ拡張だ。
- もちろんこれは文化Cと文化Dの間でも生じる。
- 概念の拡張は価値観をさらに多様化させ、高く評価される人を大いに増やす。
- それらは新たな流通、新たな産業、新たな文化へとつながることすらある。そしておそらく多くの文化は、まさにそうして増え、膨らみ、拡張していった。
- 私はそれら先人の営みに敬意を抱き、彼等と同様に文化を膨らませ、次代へと引き継いでいきたいと願う。それゆえ私は、保守派なのに文化の多様性を好む。
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