716年は藤原良継の生年。彼は兄、藤原広嗣が太宰府で挙兵したことから伊豆に流されるなど、若き日は不遇をかこった。さらに太政大臣として隆盛を誇った藤原仲麻呂の暗殺を計画したことが漏洩、官位のみならず姓まで剥奪された。
しかし仲麻呂の絶頂期にも終わりがあった。道鏡を寵愛した孝謙上皇を仲麻呂が諫めたところ逆に怒りをかい、彼は危機感を募らせる。仲麻呂が遂にクーデターへとおよぶと、良継は勅令を受けて仲麻呂の討伐に加わった。
その貢献により再び地位を得た良継は、後に光仁天皇の擁立に尽力、功臣として太政官次席、内大臣などの要職を務めた。
しかし仲麻呂の絶頂期にも終わりがあった。道鏡を寵愛した孝謙上皇を仲麻呂が諫めたところ逆に怒りをかい、彼は危機感を募らせる。仲麻呂が遂にクーデターへとおよぶと、良継は勅令を受けて仲麻呂の討伐に加わった。
その貢献により再び地位を得た良継は、後に光仁天皇の擁立に尽力、功臣として太政官次席、内大臣などの要職を務めた。
などと知りもしないことを書きながら、今日はTAEBO T3 アクセラレーション(エクスプレス)。まあ、ついてなかったりしても、腐らずにいれば運が巡ってくることもあるさ。
コメント