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835年は弘法大師こと空海の没年。病死の後に火葬されたとの記録もある。しかし、空海は即身仏として高野山奥の院にていまだに禅定を続けているとする考えが広く流布されている。奥の院では食事と衣類が日々彼に給仕され続けており、その衣類にも時折土がついているという。伝説の多い空海だけに、死すらそこに組み込まれているかのようだ。
死してなおその力を発揮し続ける偉人と、生きながらにして死人のような役立たずっぷりを披露し続けるワシ…などと思いつつ、今日はTAEBO 1。まあそう腐るなって(→ワシ)。
834年は都良香の生年。漢詩に長け、歴史にも広い知識を持っていたとされる。漢詩人としての評価は半ば伝説と化しており、羅城門の鬼が彼の詩に感心したとまで伝えられている。インテリタレントがスピリチュアル方向で評判になった…ってのとはちょっと違うんだろうな。
などと自らのレベルの低さを露呈しながら、今日はターゲットタエボーの二頭筋&三頭筋および背中。わしじゃあせいぜい、鬼を笑わせるぐらいしかできんなあ。
833年は唐の第20代皇帝にあたる懿宗の生年。先代である宣宗の長子だが、その暗愚さ故に宣宗が健在なうちは立太子されることはなかった。宣宗が病に倒れる(丹薬の中毒症状だと言う)と、それまで抑制されてきた宦官らが懿宗を擁立する。父の崩御を受けて即位するが、政治は宦官らに任せきりだったようである。このため在位中は農民らの反乱が多発し、唐は滅亡への歩みを早めていった。この人の頃はまだ壊滅的な事態に陥らなかった訳で、そういった意味では案外個人としては幸せだったのかもしれない。
などと無責任にほざきつつ、今日はTAEBO AMPED入門編。暗愚にやっても天寿を全うできるような地位にはないから、まあいろいろとあがきますよ、はい。
832年はサマラトゥンガ王の没年。仏教を奉じたシャイレーンドラ朝だったが、彼の死とともにジャワではヒンドゥー教が勢力を盛り返す。 日本における仏教の受容と、インドネシアにおける仏教・ヒンドゥー教のせめぎ合いは比較すると面白そうに思えるが…なーんも知らない。
などと開き直りながら、今日は最終プログラム。現状は現状、そこであきらめるかどうかは別。