879年は元慶の乱が終結した年。
全国的な干ばつから飢饉が発生し、東北地方で朝廷支配下にあった蝦夷(夷俘)は878年に蜂起、秋田城を襲った。これが元慶の乱の始まりである。
官軍の大敗を受け、朝廷は藤原保則に討伐を命じる。藤原保則はかつて備中に赴任した折、農業振興を柱とした善政を敷き、飢饉に苦しむ民衆を救い、地方経済を立て直した。伝説では、他国から来た盗賊が保則の善政を聞き、恥じ入って自首したとすらされている。
また、京に戻ると治安維持に力を発揮したらしい。
これらの実績を買われた保則は、兵力動員など軍事的対処も行いながら、同時に政府備蓄米を供出し、反乱した夷俘らの懐柔を図る。投降の申し出を受けると、彼はこれを許した。
朝廷は反乱勢力の追討を命じたが、寛大な政策で夷俘らを再び服従せしめる事こそ上策と具申、朝廷もその成果からかこれを受け入れた。
こうして879年、保則は武力行使によらず反乱を終息せしめたとされる。
全国的な干ばつ、飢饉から国力が低下して和平策を採らざるを得なかったのかもしれないな、などとしらけることを言いながら、今日はTAEBO T3アクセラレーション(エクスプレス)。
人間、実績を積んでると強いよな、ほんと。
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