895年は劉崇の生年。後漢の劉知遠の弟だったがだいぶ気性が荒かったようで、顔には刺青があったとされている。
950年に郭威が反乱をおこすが、彼はこの時は動かなかった。郭威が劉崇の息子を擁立しようと計っていたからだ。だが郭威は結局劉崇の息子を殺害し、自らが帝位に就き後周を建国した。
劉崇は太原にて自ら皇帝となり漢を再興する。北漢である。北漢は国土も狭く経済的にも非力だったため、彼は北方の契丹人、耶律氏の国である遼と結び、後周と対峙した。
後に後周の混乱に乗じ、彼は大軍を率いて攻め込んだが無残にも敗退、農民姿で逃げるはめに陥った。
その後、国威が凋落するなか、彼は病没する。
国を奪い、子の命までも奪った後周への怨みはさぞや大きかったことだろう。騎馬民族にすり寄ってでも一矢報いようとした彼の気持ちはちょっとわかるような気もする。
などと知ったふうなことをほざきつつ、今日はターゲットタエボーの二頭筋&三頭筋、脚、腹筋。
まあ、怨みで動くとより事態が悪化しちゃうことはあるわねえ…我が身を振り返って思うよ。
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