896年はローマ教皇だったフォルモススの没年。
まだ枢機卿だった頃、東フランク王国のアルヌルフにイタリア王として戴冠して時の教皇の怒りを買い、破門されている。
その後891年に法王の座についたが、896年のアルヌルフによるイタリア侵攻を受け、これに西ローマ皇帝として戴冠している。
反対派は彼をその位から引きずり下ろし、同年彼は亡くなった。
死後、その墓は暴かれ、遺体はテヴェレ川に流されたと言うから、よほど敵が多かったのだろう。
とまあ知りもしない事をほざきつつ、今日は久しぶりに最終プログラム。ほんと、怠惰ですいません。
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