922年は趙普の生年。後周の下級役人だったが、趙匡胤の推薦を受けて出世する。皇帝世宗が没し幼い恭帝が擁立されると、軍部に動揺が広がった。
趙匡胤は弟や軍部の強い要望を受けて皇帝の座につく事に同意し、恭帝からの禅譲を受けて帝位を得、新たに北宋を開く。この際も、趙普が陰の立て役者であったらしい。
収賄を好むなど清廉な人物ではなかったようだが、冷静沈着な名宰相として知られ、皇帝自ら「我が両手」と呼ぶほどであった。
たいしたもんだなー、と内心嫉妬を抱きつつ、今日もターゲットタエボーの胸&肩およびヒップ。
能力もなく信頼もない。まあバランスはいいのかもしれん。