956年はプラハのアダルベルトの生年。マクデブルクで10年ほど学んだ後、プラハに赴任され、後に司教となった。
いったん職を辞してローマに滞在した彼だったが、ローマ法王は彼に中欧での布教を命ずる。まずボヘミアで布教に努めた彼だったが、政治的抗争に巻き込まれたためプラハに戻らざるを得なくなった。
だが彼はそれでもくじけずにハンガリーへと赴き、マジャル人族長らに洗礼を施した。
またポーランドでは布教に熱心なボレスワフ(後のポーランド王)から歓待されている。 この地で教化に努めた後、彼はプロシア(プルーセン)へと向かった。古プルーセン人はオークの木に住む精霊を崇める異教徒だった。
アダルベルトは聖なるオークを切り倒せしめる。古プルーセン人はこの冒涜に怒り、彼を殺害した。
殉教した彼の遺骸をボレスワフは古プルーセン人らと交渉し、その遺骸を取り戻す。その交換条件は、なんと「遺骸と同じ重さの金」 だったと言う。
異教徒への宣教の中で命を落とした彼は列聖され、聖遺物であるその遺骸を持ち帰ったボレスワフは地位を高めたとされている。
しかしまあ、古プルーセン人からすれば「文明国だかなんだかしらないがいきなりやってきて冒涜を繰り返した奴」だったんだろう。キリスト教世界が彼を聖人と崇めるのはわかるが、その行為があらゆる視点から見て正当だった、などとは言えないだろう。
などとまあジブリアニメを見た中学生みたいなことを言いつつ、今日はエリートのミッション3。勝てば官軍。事実はたいてい正しい。…そうだね、うん。
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