966年は藤原道長の生年。有力な兄らの病没を受けて政界に躍り出て、左大臣として実権を握った。
娘らを次々と皇后の地位につけ、いずれの天皇からも疎まれながらも、実力者として権勢を思うがままにした。豪快な性格と権謀を併せ持ち、また紫式部ら女流文学者らも厚く扱うなど多様な側面を持つ人物だったようだ。
まー、天皇家をいいように扱った人物について良く言われる訳はないよなあ、などと歴史の教科書を思い出しつつ、今日はエリートのミッション3。でもまあ、秀でた人だったことは事実なんじゃないかな。善人か悪人かは別としてさ。
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