982年はチベット仏教の中興の祖、アティーシャの生年。
当時吐蕃は衰退し、宋など周辺諸国と結ぶ者たちも多かった。その中、西チベットに逃れた王族らによって建てられた国がグゲ王国である。
ナーランダ大学で多くの師から学んだアティーシャは仏教のみならずヒンズー教や論理学、音楽についても修め、優れた宗教家にして論客として周囲の尊崇を集めた。遂には、今日のインドビハール州にあったヴィクラマシーラ大学の修道院長にまで昇進しており、当時の世界でも随一の仏教僧であったろう。
グゲ王国は留学生をヴィクラマシーラ大学などに派遣していたが、その学識に惚れ込んだのであろうか、アティーシャにチベットでの伝教を依頼する。
すでに高齢となっていたアティーシャは最初これを拒んだが、ターラー菩薩(密教の女神:青い蓮の花を携えた16歳の少女であるという)の啓示を受け、弟子らを引き連れてチベットへと向かった。
彼は首都のみならずチベット各地で教えを伝え、また同時にその地に保管されていた仏教原典からも学んだ。釈迦の教えそのものをそれらから抽出し、整理した彼の取り組みは、今日の仏教全体に影響を与えたという。
また、彼の弟子らがチベット仏教を形作っていった。チベット仏教が彼の地で果たしている役割の大きさは今日の中国政府による弾圧の激しさを見れば明らかである。
その意味でもアティーシャの功績は大きかったと言えよう。
などとわかったようなことをほざきつつ、今日はターゲットタエボーの二頭筋&三頭筋および腹筋。歴史に名を残すような人は違うなあ…当たり前なんだけど。
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