自分をなにかに例えるなら、アリジゴクかな。
「ほどほどに対処する」のが不得手。 周囲の意識を顧みずに徹底的にやろうとして、そのあげくに空中分解してばかり。 結果としては、「周囲に迷惑をかけてなにも完遂できない」というオチが大半。 さすがに多少反省してこぢんまりとやるのだけど、こっちは「実効性のない対処」や「ポーズだけ」 に終わる。 そりゃ、評価される訳ないよな。
我ながら、困ったねえ。
手帳を活用している人を見るとうらやましくて仕方がない。
彼らは為すべき事を把握し、新たな予定に期待する。 彼らは日々を振り返り、反芻する。
切り捨てていくだけのメモしか要しない私とは大違いだ。
日曜日の午後は本当に憂鬱。 なにも出来てないことを思うとよけいに。
やたらと人をいらだたせたり不快感を与えたりしているような気がする。 「気がする」というのも怪しくて、私自身、内心「優位に立とう、相手を困らせよう」としているのではないかとも考えられる。 なにか他のことに打ち込もうかともするが、集中力も不足している。 こうして時間を無為にすごし、自らのまいた種で自滅するのではないかと不安になる。
信用がないというのは悲しいことだ。 あるいは、単なる事情を「信用がない」と受け止めるような自分であるというのは、悲しいことだ。 いずれにせよ、それは受け止めるしかない。 説明を試みても信用にはつながらない。それで事態が変化したとしても、それは信用されたからではない。単に「これ以上わずらわされたくない」と相手が感じたからだ。この場合、信用はさらに失われていることになる。 信用は、平素の行いで得るしかない。 だが、私にとってはおよそ期待できる範囲ではない。
歴史や軍事関係の本や雑誌を随分買っているが、まったく無駄なようにも思う。 だって、別に評論家や小説家になる訳でもないんだし。 とはいえ、その程度の出費でよからぬ妄想・煩悩を抑えることができている、とも考える。 だが、そんなのは言い訳だ。 つまらぬことを考える暇もないほど勉強でもなんでもすればいいんだ。 脇目もふらずに真面目に努力すればいいんだ。 そうできないのは、基本的に不誠実で怠惰だからだ。
失敗の連続。 他人のせいにすることも出来なくはないが、自分の確認が不足していたのも事実。ようは「甘かった」ということだろう。 周囲に迷惑をかけるばかりで、気が滅入る。おまけに、それで拗ねてさらに効率が低下する。我ながら情けない。
どうしてこう、なにをやっても上手くできないんだろうね。