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ここしばらく、眠りが浅い。 少し昼寝をして、せっかくの休日を無為に過ごす。
DVDを見るなりカントリーダンスの練習をするなりすればいいと自分でも思う。 英語の勉強だってしたほうがいいだろう。
だがどうも今日はそんな気になれない。 時間を無駄にしてる自分にいらだつが、良い手を思いつかない。
あきらめの悪さだけが私の売り。 だが、それがいいことなのかどうかよくわからなくなった。
「何度失敗してもあきらめない」 というと聞こえはいいが、つまるところ失敗からろくに学んでいないだけではないのか。同じ失敗を繰り返しているだけではないのか。 しかもその失敗は、私の本質に起因していると思しい。本質的な弱さ、未熟さ、卑しい性根。さもしい欲望。 失敗が自分だけのことならまだいいが、なにをしたって他人を巻き込む。心配させたり、すがりついたり、無理を頼み込んだり。
こんな迷惑なことをしていいんだろうか。 こんな迷惑な輩がいていいんだろうか。
あくまで一般論です。
競争に負けて、おいていかれることはあるでしょう。競争ですから、それは当然のことです。 でも、一度も競争に加えられないままにおいていかれるのはどうなんでしょう。
まあ、競争に参加できるだけの実績を積まなかったのが悪いんでしょうね。それも当然のことかもしれません。 敗者や弱者の戯言、と切り捨てられて然るべきなのかもしれません。
でもきっと、当事者は悲しいだろうと思います。
いやなことがひたひたと迫るなか、孤立無援。 明日にも襲撃されるやもしれず、その時に逃れる術はない。おまけに、自らは脆弱だ。不安はいちじるしい。 本来なら味方を作るなり対抗手段を探すべきなのだろうが、いずれも奇跡なしには無理。私は自分の限界を無視しない。 という訳で、いろいろと「よそ事」にいそしむ。なにかを観賞するのではなく、なるべくなにかをする。 そのいずれも対抗手段につながるとは考えられない。だが、世界の成り立ちのすべてが自らの予想範囲内だとは思わない。私は自分の限界を無視しない。
まあ、遅かれ早かれ孤立無援になるのはわかっているんだけどね。 それでも、評判が悪くなるばかりというのはつらいもんだ。
風邪で病欠。ようやく汗が出るようになってきた。 昼食をとりながら、家族とともにワイドショーを見る。 被害者および遺族の方々もさることながら、容疑者やその家族の心境を思うといたたまれなくなる。
小ぎれいでにぎわっていたが、私には廃墟のように見えた。 一つの価値観、一つのランク分けだけに基づく繁栄は容易に瓦解する。そんな色眼鏡で見ているからだろうか。
毎日、すべてをどぶに捨てているような気分。 私が触れるとすべてゴミになってしまう。 私が妄想するとすべてが暗く塗りつぶされてしまう。 だからなるべく何にも触れず、何も考えずにいるべきなのだが。
社内ニートというか、社内警備員というか、そんな感じの毎日です。 別に誰が悪いというのではなく、主に私の問題・責任です。 状況について疑問や不満もあるのですが、これらは主に私の偏狭さ・思いこみによるものと推測されます。 面倒なのは、この推測が正しかろうと間違っていようと「さして先がない」という結論に至るという点です。 推測が正しければ「こんなバカを雇用し続ける理由はない」と判断されるでしょう。間違っているなら、会社自体が左前になるでしょう。 日の当たらぬ時は根を深くおろすべきなのですが、そうやって非常口を探し始めると逃げることしか考えられなくなります。逃げることを正当化しようとやっきになります。困ったものですね。