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朝食前に墓参り。凶事が続くと思ったら、墓石が倒れていた!…なぁんて「恐怖新聞」みたいな展開はなかった。八事のジャスコで、入院中の母上や甥っ子が使う物件を購入。よく考えたら八事日赤とジャスコはまさに地下鉄一区画分離れているのだが、結局往復とも徒歩。その後、これまた徒歩にて帰宅。昼食後、ちまちまと整理。できることをできるようにやるしかないのだが、こんな暮らしを続けていてもどうにもならないのだろうなあ、とは思う。なんせ現状から逃げられる目はなさそうだし。
今年同様無駄に、今年以上にあいまいな環境下で、今年以上に顔をしかめて暮らすことになりそうだ。今から泣けてくる。
例えば猫を飼うとする。多くの人は、飼い猫に避妊手術や去勢手術を施すだろう。かわいそうだが、やむを得ない。大半の人はそう考えるだろう。無限に増える子猫を養える力はたいていの人にはない。力がないのに避妊や去勢を決断できないのは、無責任というものだ。だから、やむを得ない。ブログで延々と絡み、議論にならぬ議論を強要する輩に怒ったり、無視したりするのもやむを得ない。すべての人に道理を伝える力など、たいていの人にはないのだから。さて私だが、どうも自分を養う力すら不足しているようだ。とすると、私が社会生活を営んでいるのは、飼い猫が子をはらんでから大騒ぎするのと同じぐらいたわけた話ということか。
いろいろあったから、という訳でもないのだろうが不調。年末ジャンボ宝くじ以外に将来への希望を思いつかない。
皆さんこんにちは。年末ですから、ちょっとたまった書類を整理したりすることもあるかと思われます。そんな時、6年前のボーナスの明細を見つけたりすることもありますよね。で、その金額がもし現在の4/3倍もあったらどうしますか?ちょっと涙ぐんだりするかもしれないですよね。ええ、もちろんたとえ話です。
ローマ皇帝アントニヌス・ピウス曰く。
「国家の所有に帰すべき資産を、必要に迫られているわけでもないのに費消することほど、さもしく卑しい行為はない」
さすがに五賢帝の一人、いいこと言うなー。あえて卑近な比喩をすると、会社のお金だからと言ってさしたる理由もなくワンセグ付携帯を欲しいなんていうのはさもしくって卑しいってことなんだなー。え? 比喩ですよ、比喩。
さんざん大目玉を食らうでしょう。まあ私の凡ミスですからしょうがありません。とはいえ、ほとんど意味もなく押しつけられた事柄について謝るというのは嬉しくない話です。だからと言って逆ギレするのもたわけですから、やっぱり自分が謝るしかない。いやな気分です。
並の4/5。甘いと言えば甘いし、こんなものと言えばこんなもの。
指導者(責任者でも経営者でも可)が個人的な好みや思いだけに基づいて戦略を判断するってのは良くないねえ。自らが内外を説得すべく尽力するというのならわからないでもないが、それを貴重な人的リソースを浪費しておこなわせるとなるとなんともはや。まあ、そんな人が身近にいる訳じゃありませんが。
以下は、あくまで私の妄想。
うちの職場は遠からず崩壊するだろう。おそらく潰れはすまいが、大幅な縮小や、どこかに吸収合併されるという形はありえる。かつてはそれを避けるべく様々に努力してきたが、私の力不足もありなんら実効は得られなかった。左前の職場がそのような無能者をいつまでもやしなう訳もない。また、それ以前に放逐する可能性も十分ある。よって、私は遅かれ早かれ職を失うと予想される。そのような状況でダメリーマンを続けるのはどうかとも思うが、世の中の少なからぬ部分はそういった「つなぎ」でなりたっているのも事実だ。また、両親も奥さんも現状維持を望んでいる。将来私の妄想が現実化すると納得できない以上、それも当然だ。よって、彼らとの関係を維持するためにもダメリーマンを続けるしかない。ま、そういう生き方をするしかない者もいるわな。