983年は神聖ローマ帝国皇帝オットー2世の没年。
父オットー1世はわずか7歳の彼をドイツの共同統治者として戴冠させている。その後、神聖ローマ帝国はその正統性をめぐって東ローマ帝国と衝突するが、彼らは予想外の幸運 に恵まれる。東ローマ皇帝ニケフォロス2世が暗殺され、代わって帝位に就いたヨハネス1世ツィミスケスは神聖ローマ帝国との和平を選んだのである。和合の象徴としてでであろうか、ツィミスケスは自らの姪であるテオファノをオットー2世に嫁がせた。
父の死後、帝国を継いだオットー2世だったが、そこからは苦難が続いた。帝国南部ではバイエルン公ハインリヒ2世が反乱し、帝国西部では西フランク王国と武力衝突が生じた。
それらをどうにか治めると、彼はイタリアへと兵を進めた。しかし南イタリアではシチリア経由で上陸してきた軍の前に大敗を喫する。
なおも戦いを継続しようとした彼だったが、新たな凶報がもたらされる。今度は帝国東北部で西スラブ族が反乱をおこしたというのだ。
彼はこれへの対策を急いだが、マラリアが彼を襲った。積み重なった疲労ゆえだろうか、彼はそのまま29歳の若さで命を落とす。
まー、持ってる物が大きいといろいろ苦労するわねえ、などとぼんくらくさいことをほざきつつ、今日はターゲットタエボーの胸&肩および背中。ほんのちっぽけな範囲しか背負ってないにも関わらずいろいろ苦労しているのはなんでだろう?