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« 80年代にも独自の核武装検討 ソ連脅威論で防衛庁 | メイン | フィラデルフィア・イーグルスVSデトロイト・ライオンズ »

2004-10-03

コメント

ばべる

泰平の日本でもようやくポスト冷戦期の安全保障論議が始められているわけですが、反省と学習と改革の動きは右サイドのイニシャティヴによってのみ行われていて、対する左サイドにはほとんど実のある議論は見られず、冷戦期の遺物のプロパガンダやドグマの泥沼に陥ったままであるようです。

「アメリカの核の傘への依存」と「利己的独善的な一国平和主義」という2つの批判をどう克服するのか? 右サイドの提唱するような古典的な「国家理性の論理」に対して、左サイドが新しい安全保障理論を構築するためには、まずこの問いに明快に答える必要があると思うわけですが。

と言うか、
そもそも学説史(先人の業績)の系統的な摂取に基づかない議論は、煽動には役立つでしょうが、理論としては何の意味も持たないものでしょう。

ばべる

例えば、必読の入門書として、
モーゲンソー、現代平和研究会訳『国際政治 権力と平和』福村書店(1998年)

日米関係については、こちらは研究書ではありませんが、
外岡秀俊、本田優、三浦俊章『日米同盟半世紀 安保と密約』朝日新聞社(2001年)

Hi-Low-Mix

>モーゲンソー、現代平和研究会訳『国際政治 権力と平和』
むむむ、12000円…。
今度図書館を利用します。

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