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人間は社会を作ることにより、生存競争に勝利した。社会なき人間は脆弱であり、自然への勝利はおぼつかない。
テロは、社会の構成員が同一社会の構成員から人命などを奪う行為である。このため、テロは社会そのものを破壊する行為として機能する。
テロを避けるため、社会は相互の監視と異質成分の排除へと動く。まったく同質の人間など存在しないから、この動きはそのまま無限の抗争へとつながる。すべての人は孤立し、社会は消失する。
その結果は、最初に述べたとおりである。
組織である以上、指示をする権限を有する者が監督する責任も持つ。 当然のことだと思っていたが、間違っているのだろうか。 であれば、私が有する価値観のどこからどこまでが信頼に足るのだろうか。
何一つ予想外のことはなし。 これまでの作品を見ていないとなんにもわからない不親切設計。 だがそれでも、映画としての魅力に充ち満ちている。 ことにラストカットの美しさには脱帽。ひさびさに身体がしびれた。 情報量の凄まじさはトミノ作品を彷彿とさせるレベルだから、なるべく大画面の劇場でご覧になることをおすすめする。
サイトはここ。 おいおい、名古屋での上映はなしかよ。
たとえば、常駐でプログラム作成にあたっている外注業者。 つねに名札をつけていることになっているが、実際にはさにあらず。 そんな者たちを見て、「その程度のルールも守れないんだから、仕様にそぐわないツールができてくるのも当たり前だよなあ」と思うのは偏見か。 たとえば、オフィスの引っ越し作業。 各メンバーが個別に箱詰めしてはのろのろと一つずつ運んでいる。台車でまとめて運ぶ旨提案しても、手順を改める気もなし。作業が残っているのに、あまっている手が多数。 そんな者たちを見て、「機能が属人化されたままで、組織的な対応などこれっぽっちも考えていないんだなあ」と思うのは偏見か。 やはり私の感じ方が間違っているのだろうか。 であれば、問題は自分であり、どこに行ってもうまくやれないのだろうか。