CYNC.JP「アナグリフ=人と人が生きること…?」より。
まず、私が対人関係において問題の多いという事実はお断りとして述べておく。
人はそれぞれ異なる価値観・思考パターンを有する。所属する集団や利用する言語によって類似する部分もあるが、それでも差異は多い。
人は自らの価値観・思考パターンを外れて行動することはできない。たとえ他人の考えに基づいて行動したとしても、それは「他人の考えを受け入れるべき」という自らの価値観・思考パターンによるものである。
また、他人の価値観・思考パターンを完全に受け入れることもできない。他人の言動をどれほど観察しようと、生ある限り五感で学び、形成され続けていく自らの価値観・思考パターンに勝るはずもないからだ。
だがこのような個々人の相違を、人間は活用してきた。その手段を「寛容」と呼ぶ。
寛容な集団は個々人の異なる価値観・思考パターンを活かし、その可能行動を拡大した。個人が知り得るのは世界のごく一部であるから、複数の価値観・思考パターンを利用したほうが対応しやすいのは当たり前である。
だが、可能行動が増えるだけで成功する訳ではない。可能行動から、目的達成のために決断し実行する必要がある。
この目的は、なるべく安定しているべきである。そのためには「共有しやすい」「単純である」「矛盾がない」などの条件があげられる。
そして、目的に合致しているか否かについては「峻別」する必要がある。このレベルにおいて「寛容」であってはならない。
目的を維持してこそ、無駄のない行動ができる。人の命が有限である以上、無駄を避けてこそ初めて成功を得られるのは当然だ。
よって、より多くの価値観・思考パターンを共存させつつ、単一の目的を維持し続ける集団こそが成功する。
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