8時過ぎに起床。テレビをつけると、広島の原爆慰霊について放送されていた。
身支度の後、マクドナルドで朝食。
JRで飯田橋まで出て、そこから徒歩で靖国神社へ。
鳥居にせよ灯籠にせよ、それらはせいぜい江戸末期以降の日本しか語っていない。
にも関わらず、遊就館内の展示はそれらをすべて神武天皇以来の文脈上に位置づけている。
おそらく大半の国家が似たようなことをしているのだろうと思うと、このような仮想の枠組みなしではいられない「世界」への疑問が強まる。といっても、「より正しいなにか」なんて想像もつかないのだが。
展示物の大半よりも、むしろ見学する人々のまなざしが興味深かった。どことなく「プロジェクトX」や「そのとき歴史が動いた」あたりでも見るかのような印象があったのだ。また、展示の仕方においてもそういった手法を積極的に活用していると思われた。
このようにすねた見方ばかりしていた私だが、花嫁人形たちの姿には思わず涙をこぼしてしまった。
妻をめとることもないまま戦場に散った兵士らに、せめてもの慰めとして捧げられた人形たち。
哀れで、愚かしく、そして美しい。
それらを受け入れつつ、乗り越えていくためのなにかが出来るような自分となりたい。
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