本厄ということで、奥さんの実家がある松阪で厄落とし。参道はたいそうなにぎわいであった。
ついでに少し、松阪観光。
まず興味深かったのは本居宣長記念館。原典をチェックし、図式化し、他の資料と引き合わせて調査するという過程が国学にもあったのだ、とようやくにして知る。また、その時代にもトンデモ説があり、それと比較されて迷惑していたというのにも考えさせられた。学問という体系は、その結果としての知識だけでは決してない。改めてそれを学んだ気がする。
それはそれとして松阪城、結局いつ城趾だけになったのかわからんのう。
牛銀茶屋では、パトロネージの実践が今も尚おこなわれていると知る。このせちがらい世の中ではおおらかにすぎるのではないかと危惧もしたが、そうやって「文化」やら「世の中」というのは育まれたりもするのだろう。
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