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2006-09-15

コメント

ばべる

2005年ドイツSF大賞(短編)
K.M.アルマー「楽園の灰」
ttp://psytoh.txt-nifty.com/news/2005/12/m_0875.html

まるで宇宙年代記の一エピソードのような(切ないラストも)話の流れを別にしても、キリスト教世界の「911後文学」の一面として、日本語訳で紹介されてしかるべき佳品だと思います。

それともむしろ漫画化が向いているのかも。

Hi-Low-Mix

>キリスト教世界
わかったつもりでいましたが、つもりだけだったようです。
私にとって9.11は
・大量生産、大量消費、大量流通という現代社会のシステムは、容易に大量破壊の手段とできる
・それを食い止めていたはずの「現代社会がもたらす喜び」は少なからぬ人々にとって関係なく、むしろ憎むべき存在だった
という2点の象徴でした。
現代社会のシステムをハックするかのごときテロ行為をもって現代社会を否定するという行為がどのように認識され、どのように終わるのか、という点に最も興味を抱いていました。
しかし十字軍の末裔であることを否定できない人々にとっては、また違う受け取り方があって当然でしたね。
自らの想像力の欠如を感じます。

ばべる

>発言の内容
ttp://www.sankei.co.jp/news/060916/kok013.htm

記事にある通り、これは神学講義ですね。
スコラ哲学で言うところの「恩寵の光」と「自然の光」を比較し、なんと後者をヘーゲル主義的に称揚しています。これを読む限りでは教皇がガチガチの保守だという評判は当てにならないようです。

議論の土俵、つまりキリスト教世界が約1000年間で築いてきた哲学の思惟のスタイルが、イスラム側にはまったく理解されていないものなので、神学講義の読み方の違いが決定的な世界観の分裂として現われ、政治問題化してしまったわけですね。

キリスト教世界とイスラム教世界は、近代という深淵を挟んで向かい合っているのです。それは単な資本主義や自由市場の問題ではなく、実在と虚無をめぐる文明自体の本質にかかわる奥深い問題なのだと考えます。

Hi-Low-Mix

>キリスト教世界が約1000年間で築いてきた哲学の思惟のスタイルが、イスラム側にはまったく理解されていない
ある意味、ファーラービーやイブン・ルシュドらのイスラーム哲学がもたらした成果を近代イスラーム世界がないがしろにしてしまった結果、なのでしょうか。
だとすると、ひどく皮肉な話ですね。
考えてみれば、ケマル・アタテュルクがトルコにもたらしたような民族主義・世俗主義的流れを除けば、イスラーム世界は長いこと原理主義的方向にばかり向かってましたからね。
テロリストたちのやり口は現代社会システムへの寄生ばかりだと思ってますので、それよりはアタテュルクやサーダートらのほうがはるかにマシだと思うのですが、イスラームにとってはまた違うんでしょうなあ。

ばべる

キリスト教が早くから護教の武器として古典哲学、特にアリストテレスの内在二元論を選び、以後哲学が神学の武器として中世の終わりまで重要であり続けたのに対し、イスラム哲学は常に少数派で、それどころか多くの場合信徒共同体の猜疑の対象でした。
イブン・ルシュドの業績も、仇花のようなイベリア・ウマイヤ朝の繁栄と学芸と共に消え去りました。イスラム哲学の最大の役割が、キリスト教世界へ古典古代の遺産を譲り渡すことだったというのは、キリスト教側にとっては一つの皮肉かも知れません。

>テロリズム
テロリズは常にニヒリズムと密接な関連を持っていると考えます。キリスト教世界で孤立した留学生や移民2世がテロリズムの思想に引き寄せられるのはまさしくニヒリズムのメカニズムのように見えますが、彼らのバックグラウンド、つまり現代のイスラム教世界全体の中でニヒリズムがどのような位置を占めているものか、専門家による研究が待たれます。

>アタテュルクやサーダート
その是非はともかくとして、開発独裁自体が近代キリスト教文明の産物(集権化された官僚制、資本の集約、「近代化」という理念)なので、この辺りの議論も複雑で難しいところです。

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