買い物にスーパーへと行けば、多くの子供らを見かける。泣く子供、走る子供、それぞれにかわいい。そんな姿を見ていれば、子供が欲しいとも思う。
だが、それは不適切だ。
自分一人すらろくに制御できない者が子供を健やかに育てられるとは考えにくい。母親や本人の資質や努力があっても、父親がもたらす負の影響を排除しきるのは難しい。財産など非属人的なメリットがあればまだなんとかなるやもしれないが、それもまたない。
「子供ができれば親も変わる」とも聞くが、自分にあてはまるとは思えない。そんな都合の良いことがあってたまるか。
だから、私は子をなすべきではない。
ええー? もっと適当に考えていいんじゃないでしょうか?
「完璧に用意できてから出発しよう」と考えてたらいつまでたっても出発できないように、完全な準備は不可能ですよ。走りながら、用意を整えたっていいんじゃないかなぁ。
あと、未来というのは十分に予測不可能なものだと思うんですよね。いま手持ちがどれほど絶望的な状況でも、未来は分からない。異性の遺伝子が十分優秀かもしれないし、遺伝子の組み合わせが良い形質を生む可能性もあります。また、環境が良い影響を及ぼすかもしれない。
自分自身の影響力なんて、未来の予測不可能性に比べればちっぽけなものだと考えてはどうでしょうか? 適当に、難しく考えすぎずに、ときには楽しくやるのが一番だと思いますー。
投稿情報: ふじさわ | 2006-11-04 14:16
一般論としてはおっしゃるとおりかと思います。
しかしながら、大雨が降っているというのに雨具を持たずに出かけるのは不適切です。自分や、自分と共に行くことを同意した者については「やむをえぬ」ところかもしれませんが、なんら同意を示していない者にまでそのような無謀を強要して良いものでしょうか。
まして私には、雨具を入手できる目処がまったくないのです。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2006-11-05 06:28
Hi-Low-Mixさんも、自分が同意しないまま、どなたかに大雨の世界に連れ出されたクチだと思いますが、そのことにどれほどの不満をお持ちなのでしょうか?
もし不満がとても大きくて、この大雨の世界がどうしても嫌いだとおっしゃるなら、ぼくが口を出せることではなく、出しゃばった真似をして申し訳ないです。
ただ、大雨の世界もそう悪くないと思えるなら、どなたかを誘ってみる手もあると思うんですよね。たとえば大雨でも、虹がかかるかもしれません。蛙が顔を出すかもしれません。雨宿りしながら、その景色を誰かと語り合うのも楽しいかもしれないです。
まぁ、急いで結論を出す問題でもないですし、ぼくなどは何も知らずに意見しているだけですので、参考程度に。出しゃばりましてすみません。
投稿情報: ふじさわ | 2006-11-06 11:52
まず、私の下手な比喩のために不正確な話を強いている点についてお詫びします。
その上で、ご意見・ご提案をいただき嬉しく思います。ただ同時に、せっかくのお言葉を活かせぬ自分をふがいなくも感じます。
申し訳ありません。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2006-11-06 19:58