SdKfz161はいわゆる4号戦車。第二次世界大戦時、ドイツ軍で「軍馬」と呼ばれ頼みとされた戦車である。
そもそもは3号戦車が主力、4号戦車はその支援という役割を分担するはずだった。だが、連戦連勝のうちに終わるはずだった戦争が長引き、東部戦線にKV-1やT-34といった強力な戦車が現れるにいたり、そうも言っていられなくなった。
支援用として短砲身(24口径)の7.5cm砲を装備した4号戦車(A型からF型まで)は、主力として敵戦車と対峙すべく43口径の7.5cm砲へと武装を改めた(F2型およびG型初期)。前線はさらなる強化を求め、4号戦車は当初の倍に値する48口径の長砲身7.5cm砲を装備した(G型後期、H型、J型)。
本来、T-34やM4シャーマンといった強敵に立ち向かうのはより強力な5号戦車<パンター>や6号戦車<ティーガー>のはずだった。だが<パンター>は機械的信頼性の問題をなかなか払拭できず、<ティーガー>はその巨体そのものが足を引っ張った。実質的には、4号戦車こそ大戦中期から終戦に至るまで、ドイツ軍主力戦車の位置にあったと見るべきだろう。そのあたりは、開戦から敗北に至るまで主力でありつづけた零式艦上戦闘機を思い起こさせる。いずれも、それを生み出した民族と国家の実力と限界を体現しているかのように、私には感じられる。
「限界なんてないんだ!」とタフさを強調するビリーの言葉に、やっぱアメリカは違うなあと思いつつ応用プログラム。限界への対応の仕方としては、やっぱりアメリカ流が正しいと思うよ。
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